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変性意識の旅路

生命力豊かなまちづくりをしたい
 
僕がそう思うようになったきっかけは
学生の頃に遭遇した一つのペットボトル。
 
そのペットボトルと出会う道筋を
つくってくれた「音楽」は
僕が探究を続けている
「変性意識の旅路」
を導いてくれていると感じます。
 
高度経済成長で工業地帯のベットタウン化
した小さな町で育った僕は、
スポーツや勉学、美術に明け暮れ
クラス委員や生徒会長の役割を求められる
いわゆる優等生と呼ばれる存在でした。
 
求められる役割を上手にこなすのが得意。
でもいつしか求められることに苦しさを感じるような、
そんな感覚。
 
何かの事件などで「なぜあの子が
・・・」みたいな出来事がありますよね。
 
「人生の悲劇は“よい子”に始まる」と言われる
ことがあります。
 
誰の人生にも、
求められる自分と本当の自分、
それはパラレルにあるのかもしれないけれど、
思い返せばまさに自分もそう。
そしてそこには大きな隔たりがありました。
 
そんな中で、浮かんできた、
自分は一体どうしたいんだろう?
自分を生きる人生ってなんだろう?
という問いというかモヤモヤ。
 
学生時代の漠然としたモヤモヤの中で、
僕の場合は、音楽体験が、
自分らしさに目覚めていくガイドの一つに
なりました。
 

 
ちなみに、
「人生の悲劇は“よい子”に始まる」という
加藤諦三先生の書籍はとてもお勧めです。

https://amzn.to/2W59f51
 

 
音楽は僕にとって挫折体験だったので
大学生になるまで、あまり積極的に
関わってきていませんでした。
 
その挫折体験というのは
幼少期にピアノを習っていて
ピアノをやめた、ということなのですが
そのやめるきっかけになったのが
夢遊事件。

当時、僕は家でも姉から
ピアノのレッスンを受けていたのですが
ある夜、僕が寝ているところ夢遊して
ピアノに向かって泣きながら練習する
ということがあったのです。
 
姉はびっくりしてしまって
僕へのピアノのレッスンをやめ
僕もピアノをやめてしまったのでした。
 
今となっては笑い話ですが
それから音楽は好きなんだけど
どことなく距離がある、
そんな感じになったのです。
 
それが、大学生になって東京へ出てきて
帰国子女の友人に連れていってもらった
ウェアハウス(ナイトクラブ)で衝撃的な
音楽とダンスを体験したことが、
ペットボトルへと続く序章となりました。
 
その時の音楽は、
ハウスやテクノと呼ばれる
ダンスミュージックに分類される音楽で
今もそれらの音楽は大好きですが、
音楽自体そのものより、
僕にとっては音楽を感じながら
ダンスする体験がかけがえのないもので
そのトランスする感覚が、
自分の中にある力に目覚めていく
重要な要素となっています。
 
その体験は自分にとって衝撃で、
以来、夜な夜なダンスに出かけては、
大学の教室で寝ているような生活を
送るようになりました。
 
そのうち、
自然の中で、夜通し踊りつづける
レイブパーティへ行くようになり、
その自然の中での体験で
僕は決定的に変わることになったのです。


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