1/26今日の勉強記録 なぜ教師を志すか
はじめに
世の中にはたくさんの仕事があるのに、なぜかあえて評判の良くない労働環境に踏み入れ、自ら同僚や子供、保護者などからの大量の複雑なストレスをためこもうとしている。それはなぜだろうとふと思った。
これまでは自分の身の回りにある興味のあるものになりたいと思ったことはある。例えば、幼稚園や小学校低学年の時には、ごみ収集車を運転する人、和菓子を作る人など、「好きだから」「かっこいいから」を理由になりたいと考えるものは多かった。
でも、私が教師を志す理由は、どうやら「好き」だけではなさそうだ。
小学生
初めて先生になろうと思ったのは小学6年生の時のことだ。
この地域ではマラソン大会があり、私は校内の代表者を目指して半年間練習に励んだ。
わたしは陸上部ではないし、決して身体能力が高かったわけではない。だが、サッカーで鍛え上げられた走力とそこそこの根性を武器に、みんなの前でかっこいい走りを見せたいと思った。こうして長距離走初心者が陸上部に混ざって毎日の朝・放課後と休まずに走りこんだ。
初めはきついだけだったが、練習を重ねるにつれてだんだんタイムが良くなり、軽やかに走れるようになっていき自身で成長を感じられるほどいい走りができるようになった。そして、めでたく見事校内代表の1人として選出された。
ところが、私はわずか数時間で補欠に繰り下げとなった。
理由は、先生がわたしより速い1人を代表に入れ忘れていたからである。
信頼できる大人から初めて裏切られ、そして自身がないがしろにされているように感じた(忙しい中、放課後の時間までを使ってくださった中でミスがある可能性は高く、むしろ業務時間外まで付き添ってくれたことに感謝すべきだ)。
初めてたくさん泣いた。家族も憤りを隠さず、涙を流した。繰り上がりになった友達は申し訳なさそうに話してくれた(ここに恨みはない)。
こうしてたくさん泣いた後、「自分は周囲の人を傷つけないよう、責任感のある教師になってやる。」と思うようになった。これが最初の教師志望理由だ。
これはとても浅はかで物事を深く考えられていないため表立った志望動機にはならない。何なら、この責任感を果たす場所は必ずしも教師のみではない。だが、この時点から先生という職業に興味を持ったことは確かだ。
中学生
以降先生になりたいと思うものの、そう思う理由や働き方など知らないことばかりだった。だからこそ、目の前にいる先生のなりふりを自分なりに観察するようになった。
2年生のころ、社会科の先生の授業がとても面白かった。
担当は、フレームの細い眼鏡をかけた白髪まじりの先生だった。ゆっくりとした話し方や少し低めの聞き取りやすい声色から知的な感じがして、でもどこか安心感のある先生だった。
授業では、必ず先生の口から聞き覚えのない擬音語が多くとび出し、その一言が出るたびに教室が笑いの渦になった。みんなから、社会の時間は「優しいおじいちゃんが変なことを言う授業」だと言われていた。
その時は雑談が面白かったことを覚えている。先生の家族の話は面白かったし、学習に関する雑談も興味深かった。また、(現行の指導要領の在り方には背くと思うが)当時は必ずテスト勉強の時間や重要語句を覚える時間などの自習時間をとってくれたことがとても嬉しかった。
こうして社会科の授業を3年間受け続けた結果、私は社会科の先生になりたいと思うようになった。理由は社会が面白いから。そして「責任感のある教師」が頭から離れつつあった中学時代、私は社会科とサッカーの2つに長いこと携われるからという理由で先生になりたいと思うようになった。
高校生
社会科が公民や政治経済、日本史などと細かく分かれても、それぞれの学習は相変わらず面白かった。友達がつまらなくて寝ている最中でも、私は常に先生の雑談を聞きながら楽しく勉強することができていた。高校3年間の成績で社会系科目だけはすべて5だった。
これまた現行の学びには則さないが、ある社会科の先生が50分間永遠と話す授業をしていた。しかも終始ぼそぼそと話し、声量も大きくない。生徒は授業妨害をしているわけではないが、その魔力のせい合って授業を受ける半分は寝て、数人は暇すぎるあまり内職をする。その中でも、私は教科書片手に先生の雑談を聞いた。
この先生の話は全員に刺さっているわけではない。だが、こういう面白く興味深い雑談を通して、全員が寝ずに(暇にならずに)社会科を楽しいと思ってもらえる社会科の先生になりたいと思った。
大学受験
高校3年生の春ごろ、私は近場の私立大学を目指すことにした。そこでは歴史などの社会系科目を研究することができ、教員免許を取ることができる教員養成に評判のある大学だ。私はそこの、面接のある推薦入試に挑戦することになった。
ところが、これまでの教師の志望理由はふんわりとしていたもののみで、受かる気配がなかった。そこで、塾の先生にお願いして面接指導をしてもらうことになった。
あくまで志望校合格が目的ではあるが、ここでさんざん頭を悩ませた時間を通して私の教師を目指す理由が明確になった。
こうして、親切で丁寧な塾の先生のおかげでごちゃごちゃしていた自分の思いがまとまっていった。
大学・社会人時代
晴れて合格したのち、私は予定通りに歴史を学びながら小学校・中学校社会科の免許習得を目指した。
ある時、サークルの人から学生ボランティアの話を聞いた。現地に出向いて丸付けなどの雑務や補助などをするのが主な仕事だ。報酬は出ないけど就職活動の話のネタになるし、教育実習前に学校と触れ合う時間をとっておくのも悪くないと思い、週1回程度ボランティアとして参加した。
休み時間が休む時間ではない膨大な業務量、子ども同士のトラブル、支援の必要な子どもの増加、タブレット端末導入の負担など、教員の闇が見えた。教師しか考えていなかった私にとって、ここで生きていくべきかとても悩んだ。
そんな時のある体育の学習。補助として入っていた私の目の前で、1人の子どもが人生で初めて跳び箱を跳んだ。そして私は、跳び箱が初めて跳べた子どもの顔を始めてみた。その子は興奮気味に叫び、その周囲の子は手をたたいて喜んだ。
この子のキラキラ輝く顔、その周囲の温かい雰囲気、この光景の隣にいつもいる現場の先生がとても羨ましかった。
こうして気づけば、小学校教員を第一志望にしていた。
おわりに
当時の私が児童生徒の立場として感じた面白い授業とは、
①授業には関係のない変な擬音語や雑談などで笑える授業
②学びを通して新たな発見ができる興味深い授業
だった。
①は必ずしも子どもの学力向上に直結しない。でも、笑いのある安心できる授業の雰囲気を作ることは大切なのかもしれない。
そして私は、子どもの「できた」をたくさん引き出す教師になりたい。「できた」のためには
①より多くの子どもにとって適切な指示・支援をするため、教師の専門性を日々高め続けること。
②子ども自身が最後(「できる」や「もっと高みを目指す」)まで粘り強く取り組み続ける姿勢を持つこと。レジリエンス。
③「できた」ことやその過程を認める(ほめる)こと。
が大切だ。このことについてはまた追ってまとめていく。
・指導要領暗記 国語・特別活動
・演習 漢字語句など
それとともに、面接対策として志望理由、理想の教員像についてまとめてみました。