【一生青春するんだぃっ!】
今日で79年と8日生きて来たことになります。
押しも押されもせぬジジイであります。
口では「一生青春するんだぃっ!」と強がっていますが、齢は無情にも「お前はれっきとした老人だ」という事実を突きつけてきます。なんで生きながらえてるのかよくわかりませんが、しかし、ジジイにはジジイにしか語れない話があると思うのです。
これを機に(なんの機かよくわかりませんがw)小説なるものを書いてみようと思っています。
「どんば・えれじぃ」。
バブル前夜の都会の繁華街でハウスバンドとして生計を立てている楽士たちの可笑しくも悲しくむなしいお話です。
250枚くらいの中編小説を目指してただいま絶賛執筆中です。
書こうと思ったきっかけは、バンドマンについて書かれたものを自分自身が読んだことがなかったからです。
とあるインフルエンサーが物知り顔で「人は音楽にお金を使わない。ライブ、ストリーミング、CDなど含む全音楽の全世界の売上は年間10兆円以下らしい。この売上は三菱商事1社より小さい。ちっちゃなパイを無数の天才が奪い合ってる血の海が音楽という市場」などとSNSで偉そうにほざいてましたが、そもそも音楽(その他の芸術も)を経済的価値で見ること自体、違うんじゃないかと思うのです。
たしかに素晴らしい才能を持った音楽家は沢山います。億というお金を楽々稼ぎだす人はまれではありません。しかし、それはたまたまその才能がその時代の人たちに認められたことの結果であって、稼げるから価値があるとか、売れないからゴミだとか、言えるものではないと思うのです。
大部分の楽士は、半世紀近く前から一向にベアされない待遇に耐えながら、それでも必死で勉強し、研鑽を積み重ね、完成することがない芸の世界の完遂を目指し、・・・結局は自己の音楽的技術を切り売りして生きて行かざるを得ない状況に置かれています。だからといって楽士たちが音楽に見切りをつけて別の道を模索するということはありません。「好きでやってる」だけで片づけられない何かに突き動かされて、日々ブラック市場で生き延びる道を探しているのです。そんな環境でも彼らはめげません。反省することもありません。諦観とかエポケーとかとは違う思いがそれぞれの胸の内にあるのでしょう。
そんなバンドマンたちの姿が描けたら、いや描けるのはバンドマンとしての生き方を今も捨てきれない自分しかいないんじゃないか、と不遜にも考えたのです。
書き始めてみると、小説を書くということがどれほど難しいものかということを思い知らされます。本を出版するような作家さんは皆さん大天才なのですね。
単に自分の経験したことや聞き知ったことを書き連ねるだけでは小説として成立しない。そこには、登場人物ひとりひとりが、それが描かれた時代とともに、いきいきと存在していると感じられるような、入念で細かい観察と考察に支えられた視点と言葉遣いが必要です。これまで一編の作品も発表したことのない人間が、いきなり書けるというものではありません。
でもやってみよう。
いくつもの幸運と愛情と友情に育まれてここまで生きながらえてきました。
事故で、心臓発作で、いつ彼岸に行ってもおかしくなかった人生が、ここまで続けられています。誰かが「もっと生きろ」と命じているのか、引退して老成することが許されていない。そんな気がするのです。
だから。
一生青春するんだぃっ!
前のめりになって歩き続けるしかない。
もしそれが出版されて、いつになるか、それともそんな日は来ないかもしれませんが、読む機会があった時「あれ?これって俺の(私の)こと?」と思う方がいらっしゃるかもしれません。しかしそれは全くの勘違いです。小説というくらいですから全てフィクションです。今の私たちが生きている宇宙ととても良く似た別のパラレルワールドでのお話です。だから「肖像権の侵害だ!」だとか「プライバシーの公開だ!」とかねじ込まないようにお願いします(笑)。