エリック・ロメール『クレールの膝』『モード家の一夜』
高田馬場にある名画座、早稲田松竹のエリック・ロメール特集上映で見た2本立てについてです。
『クレールの膝』(1970)
冒頭、湖をボートで進む主人公の男性が、橋の上に立つ知人女性を偶然見かけて声をかける場面から、その撮影の美しさに目を引かれます。避暑地ですごす人びとを描いた本作は、全編に渡って風景をとらえるカメラが美しく、登場人物の衣装によって対比される色彩のコントラストも楽しめます。わけても、木々の緑と女性の身につける赤いニットの色合いの対比など、これぞフランス映画という感覚。とはいえ、年の頃は35歳から40歳といった主人公の行動は迷走しており、この中年男性はいったい何をしているのだと、男性の情けなさについて考えさせられたフィルムでした。
主人公の男性は人間関係上の束縛を嫌い、プレイボーイを気取っています。避暑地へ訪ねていった女性(おそらく30代半ば)とは結婚の約束をしているようにも見えますが、女性側は「別に約束していない」とはぐらかしています。主人公は、避暑地で出会った16歳ぐらいの幼い女の子に「私はファザコンかも」「歳上の人が好き」等と好意を示されてすっかりゴキゲンになりますが、水着姿でくつろぐ彼女の姉(おそらく19歳~20歳)の美しい身体を見かけたとたんに欲求が高まり、「妹より姉の方がいいぞ」と一転して姉に接近していきます。いい歳をして何を考えているのでしょうか。彼女の膝をどうにかして触りたいという谷崎潤一郎的な願望を抱いた主人公は、姉に対して「君の彼氏は浮気をしているよ」と告げ口をして泣かせ、なぐさめるふりをして膝を撫でるという愚劣な作戦に出るのでした(『クレールの膝』のタイトルはそこから来ています)。なにしろひどい主人公、かなり問題アリだなという感想です。休暇が終わり、ボートでひとり帰る場面が孤独に見えました。
『モード家の一夜』(1969)
こちらは白黒の作品。男女関係における正直さとは何か、どこまでを相手に伝え、何を言わずにおくかといった境界線がテーマになっています。主人公は数学が趣味のまじめな男性。数学について語ろうとするたび「マスマティーキ」と口をとんがらせる、どこかかわいらしい部分のある人物です。白黒の画面は実にスタイリッシュで美しいのですが、本作は非常に動きの少ない構成が特徴で、男女がひとつの部屋で延々と話し合う場面が30分続いたりと、やや観念的な演出がされているものでした。これもまたフランス映画らしい雰囲気がありますが、個人的には、せっかくの映画なのですから、人やモノが動く方が楽しくて好きですね。
先ほどの『クレールの膝』の主人公は大人としてかなり問題がありましたが、本作の主人公の行動は一定の理解が及ぶものです。男女はお互い、言葉にして相手に伝えたところでどうにもならない過去や事情を抱えているもので、状況に応じて沈黙を守り、波風を立たせないよう工夫しています。ほんのちょっとした偶然やタイミングが、人と人との出会いやその後を大きく変えてしまう。われわれはみな、そうした人生のすれ違いの連続の中で誰かと結びついたり離れたりするほかなく、ときには相手に言えない事情も多々生じるという現実に、主人公は困惑しています。ホール&オーツの曲に、"Some Things Are Better Left Unsaid"(言わずにおいた方がいいこともある)がありますが、本作を見るとなるほどそうだなと感じます。ラストの浜辺のシーンが美しく、すばらしいものでした。