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ケヴィン・ウィルソン『リリアンと燃える双子の終わらない夏』(集英社)

フィジカル的に燃える

タイトルにある「燃える双子」とはメタファーではない。この小説では、本当に子どもが燃えるのである。10歳の双子、姉のベッシーと弟のローランドは、怒ったり、不安になったり、大人からひどい仕打ちをされたりすると、身体から炎が吹き上がり、フィジカル的に、実際的に燃える。着ている洋服は焼け焦げ、火災報知器が反応し、近くにある家具やらカーテンやらも燃えてしまうが、本人の肌や髪はそのまま残っている。どういう仕組みかはわからない。そのからくりは不明なれど、燃えた後の本人たちは、やけどもしていなければ、髪もつやつやのまま、そっくり無事なのである。ただし周囲は、いつ子どもたちが燃え出してしまうかわからず、不安な日々を送らなくてはならない。さらには姉のベッシーはいくぶん凶暴でもあり、敵と見なした相手には容赦なく襲いかかってくる。

28歳の主人公リリアンは、実家で暮らしながら近所のスーパーマーケットでアルバイトをし、空いた時間には大麻をたしなむ女性であった。そんな主人公が旧友から手紙を受け取り、燃える双子の世話係を依頼される、という場面からこの小説は始まる。当初はホラー要素の強い小説かと思っていたが、読んでみると実に純文学であった。「なぜ子どもが燃えるか」に科学的な裏付けをしたり、超常的な展開をつけくわえたりはしない。子どもはただ、燃える。一般的な子どもが、ぐずったり、大声を出したり、親の言うことを聞かなかったりするのと同じように、不機嫌や怒りのサインとして、身体から盛大に炎を上げて、触れるものみな燃やしてしまう。度を越したやんちゃ、という言い方もできるが、そんな子どもの世話をいったいどうやってすればいいのか。リリアンは途方に暮れる。

原題は "Nothing to See Here"

家族であること

たしかに、この双子の世話をする方法など誰も見当がつかないだろう。小説には、高校時代の同級生マディソン、堅物で無愛想なボディーガードのカール、社会的地位は高いが、妙によそよそしい双子の父ジャスパーといった人物たちが登場し、彼女を助けたり、勝手なアドバイスをしたり、難題を押しつけたりする。そんな状況でもリリアンはひと夏かけて、可燃性の双子を炎上させずに手なずけ、分別のある子どもへと仕立て上げるために奮闘するのだ。リリアンと双子の姉弟がたどるひとつひとつのステップ、子どもとの相互理解へ至るまでの過程がどれも美しい。わけても、子どもにかけ算を教えようとして、うまく解けなかった姉のベッシーが、自分は10歳になってもかけ算ができないという事実をリリアンに知られた恥ずかしさでいたたまれなくなり、燃えてしまうという場面の切なさなど、とてもリリカルだった。それは恥ずかしいし、私だってきっと燃えると思う。発火するなという方が無理だ。

この特異にもほどがある状況を、読者を引き込む筆致で描きつつ、もし自分がこの立場だったらと想像させながら物語を進める著者の手つきに魅了された。そして双子が燃えるとき、それはこの世界に対するまっとうな異議申し立てのようでもあり、どこかで「もっと威勢よく燃えてくれ」と感じてしまう自分がいるのだ。そしてこの小説が、この特徴的なプロットを純文学のナラティブで語り、双子と主人公との関係性を微細に描いていく点に胸を打たれた。そこに新鮮な感動がある。リリアンと双子はやがて擬似的な家族となっていくが、その難しさ、ぎこちなさが詩的なのだ。それにしたって、家族であることは難しい。どれほど優れた親でも、共に暮らしていくなかで子どもを傷つけてしまう瞬間が必ずある。それでも一緒に生きていくしかない。ああ、家族ってやつのややこしさときたら。

もし実写化するなら(キャスティング案)

リリアン アナ・ケンドリック
マディソン マーゴット・ロビー
カール ジョン・シナ
ジャスパー ベン・アフレック
ベッシー とにかく負けん気の強そうな女の子(子役)
ローランド ちょっと気の弱そうな部分もある素直な男の子(子役)

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