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金暻和『韓国は日本をどう見ているか』(平凡社新書)

これは万国共通のルールなのか?

英語の勉強をしていて、たとえば「迷惑をかける」は英語で何と言うのだろう? などと考えることがある。ぱっと思い浮かばない。それらしい単語を組み合わせて英訳しようと思えば一応は可能なのだが、できあがった言葉は妙に人工的で、英語話者からすると不自然な言い回しに聞こえるはずだ。なぜなら英語圏では「迷惑をかける」という発想そのものが希薄だからで、映画や配信ドラマを見ていても、そのような表現はまず出てこないためである。迷惑がどうとか、そんなこと英語圏では誰も言っていないのだ。よく話題になる「迷惑系ユーチューバー」は英語で annoying YouTubers などと呼ばれるが、この annoying はどちらかといえば「鬱陶しい」「ウザい」がニュアンス的には近い。迷惑を絶対悪とする日本人にとって、誰かから「その行動は周囲に迷惑をかける」と指摘されると反論のしようがないし、何としても避けなければならないが、実はこの規範は日本ローカルなのかもしれない。

韓国から日本へやってきて10年暮らしたというメディア人類学者、金暻和きむ・きょんふぁの著書『韓国は日本をどう見ているか』は、隣国から日本はどう見えているかについて論じた連載をまとめた新書である。読んでみると、思わぬところに日本の独自ルールは偏在していて、「ここが違うのか」と新鮮な驚きを得られる描写がたくさんあった。たとえば著者は、東京に住み始めて、自転車に乗る人が怖かったという。ソウルは坂道が多く、自転車に乗る人が少ないらしいのだが、東京ではたくさんの人が乗っている。道を歩いていて、向こうから自転車が来ると「前方から走ってくる自転車がどのくらい近づいた時点で避ければ安全か、どちらに避ければほかの歩行者の邪魔にならないかといったことは、なかなかカンがつかめなかった」のだそうだ。東京の暮らしで困ったポイントそこか〜と意外だった。私はこのような体験をしたことがないが、それは東京で生活しているなかで獲得した阿吽の呼吸で、道路を歩く際の身のこなしや位置取りが自然に会得できていたのだろう*1。

知らなかった韓国と日本の違い

日本は仕事の完成度を重視するが、韓国はなにより速度を最優先するといった違いはおもしろかったし、政府の無為無策に対して韓国は抗議するが、日本は声を上げないという風潮の違いも納得できるものだった。隣国であり、共通する部分は多いが、まるで異なる発想も同様に存在するのだ。日本は年齢を重ねることで仕事や創作などの活動が熟練していくと考えるが、韓国はすぐに引退を迫られ、居座ろうとすると「老害だ」と責められる風潮があるとの指摘には、そんな違いがあるのかと発見があった。もっとも印象に残ったのは、日本の芸能人夫婦で、夫が不倫をした際、妻が「申し訳ございません」と謝罪をするケースに対して、韓国ではそのような謝罪はあり得ないという記述だった。たしかに、夫に不倫された女性は被害者なのであって、あやまる筋合いはないのだが、日本的文脈では、そこで謝罪をすることになっているのはおかしな話である。夫の起こした不倫問題を妻が謝罪する、という日本人心理は「『うち』に対する連帯責任が一種の社会的規範となっている」ためだと著者は述べているが、まさしくその通りだという気がする。

日本にいると、日本のルールがあたかもすべてであるような錯覚を起こしてしまうが、隣の国からやってきた著者から奇妙に見える「日本人の美徳」なるものは単なるローカルなしきたりにすぎないなのであって、あまり気にせずに暮らしていいのではないか、という気持ちになれるのが本書のよさである。読んでいて、ずいぶん気が楽になった。また、若い世代の日本人が韓国文化をどのように受容しているのかを知れたのも、とても参考になった。くわえて本書では、日本と韓国の関係性が、主にインターネット上で誹謗中傷を生んだり、倫理的に問題のある形で情報が広がっていくといった事態についてもページが割かれている。このあたりも年代ごとの動きが時系列にそって解説されていて、たしかにそうだったと記憶がリフレッシュされるような学びがあった。韓国と日本を比較することで、意外な発見が数多く得られるユニークな1冊である。

*1 最近、東京はインバウンドの旅行者が多いが、彼らが駅構内で迷って、人の流れが多いところで立ち止まってしまったり、改札前で難儀していたりするのを見ると、たしかに都内の駅を人にぶつからずスムーズに歩くのには、一定の慣れとコツが必要だと感じる。都内の駅構内を移動するのは結構難しいと、あらためて思った。立ち止まっていい場所、動き続けなければいけない区域、最短コースなど、目に見えないゾーン区分や動線に沿って身体をなじませていく必要があるのだ。

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