デヴィッド・M・バス『有害な男性のふるまい』(草思社)
見知らぬ女性に声をかける男性
先日、井の頭線に乗った際に、電車内で話している若い男女を見かけた。ふたりの会話が耳に入ってきたが、男性は、駅の近くで面識のない女性に声をかけ、どうにか連絡先を聞こうと、女性が乗った電車のなかまで着いてきてしまっていたことがわかった。男性は、女性のインスタを教えてもらおうと粘っていて、女性はひきつった笑顔でそれを断っていたが、男性はなかなかあきらめない。近くにいた私は、恐怖でいたたまれなくなった。とても見ていられない。「電車のなかまで着いてくる人って聞いたことないよ」と、女性は冗談めかして伝えようとしていたが、それすらも男性の側には、積極的で大胆ですねというほめ言葉に変換されていたのかも知れない。認知の歪み。
見ず知らずの男性に路上で声をかけられ、さらには電車のなかまで着いて来られてしまった女性の恐怖はいかほどだったろうか。女性が笑顔だったのは、男性を怒らせてしまったらさらにまずいことになりそうだからである。よほど注意しようかと思ったが、いざとなるとうまく声が出ずに電車を降りてしまった。家に帰ってから、とても嫌な気持ちになり、しばらく落ち込んでしまった。なぜそこまでして、女性に声をかけて関係を持とうとするのか。なにがあの男性を、加害的な声かけに駆り立てていたのか。あのような場で、周囲はどのように対応するのが正しかったのか、いまだに答えが見つからない。
なぜ加害行為は起こるか
米心理学者デヴィッド・M・バスの『有害な男性のふるまい』(原題Why Men Behave Badly)は、男性から女性への加害的な行為を論じた本である。DV、ストーカー、性的強要、リベンジポルノ、性的捕食者(数多くの女性との性行為を強引に行おうとする男性)、痴漢、オンライン上の嘘やなりすましなどの行為を章立てで細かく考察しつつ、そうした行為に至る男性の心理を読み解くという内容になっている。いかにして男女の性的対立を弱めることができるかが本書の目標だ。読んでいるうちに気が滅入ってくるのは、たしかに男性はここまでひどいことをするのだという事実をつきつけられるためである。この本を読了した日の夜に、井の頭線でのできごとがあったものだから、気持ちの落ち込みに拍車がかかってしまったような気がする。男性のふるまいは「家父長制を形作る心理的要素である女性の性的対象化や、女性を所有財産として見る考え方」がベースにあるという著者の指摘は正しいと感じた。
有害な男性には「ダーク・トライアド」(闇の三要素)の傾向がある、との記述も興味ぶかい。具体的には、ナルシシズム(強い特権意識、自分は特別だという自信)、マキャベリズム(社会的な戦術として相手を操ったり、搾取したりする)、サイコパシー(共感力に欠け、他者の苦しみに無関心)という3点を指してダーク・トライアドと呼ぶのだが、こうした特性を持つ男性は、関わった女性に危害を加え、苦しめるケースが多いのだという。しかしややこしいのは、ダーク・トライアドの男性には、表面的な魅力を発揮して女性を惹きつけることに長けている人物が多い点だ。これは実に怖い。短期的に接した段階では、その男性が魅力的かつ誠実なのか、ダーク・トライアドのおかげで魅力を得ているのか、女性の側からは判断がつかない。立ちふるまいが魅力的なので、女性の側も惹かれてしまう。交際が始まってみて、実は有害な男性だと気づいても、もうその男性から離れるのが難しくなっているというケースが多いと本書は述べている。
被害者女性の苦しみ
また、男性は女性が最低限の親切を示しただけでも、自分に性的な関心を抱いていると誤解しやすく(性的過大知覚バイアス)、逆に女性は、まさか単なる親切を性的なサインだと間違って解釈することはないだろうと低く見積もる傾向がある(性的過小知覚バイアス)というのも、まさにその通りだと感じた。くだんの井の頭線の男性も、女性のひきつった笑顔を歓迎のしるしだととらえ、「もう少し押せばいける」「女性は恥ずかしがっているだけで、本心では自分を受け入れている」と感じていたに違いない。個々の加害行為についての詳細は省くが、わけてもストーカー心理については読んでいてぞっとしたし、被害にあった女性がどのような経験をするか(ストーカー対策に精神的な労力を取られて、ほかのことができなくなり、追い詰められる)など、学びが多かった。とはいえ、男の邪悪さに寒気がしてくるような描写の連続であり、読みながら暗い気持ちになってしまったのだが。
勉強になる本ではあったが、いくつか不満もある。「進化で読み解くハラスメントの歴史」の副題の通り、男性の有害なふるまいが人間の歴史的な進化の過程でどのような意味を持ったか、という解釈の部分については、正直あまり参考にならなかった。なぜ有害なふるまいをするのか、という原因を人間の進化に求めるのは一応理解するが、これは人権の問題なのだから、法律や社会倫理でダメだと禁止して、それを徹底すれば済む話なのではと思ってしまう。また、人間の男女間の性的な領域争いを「オスのクモは、メスのクモに渡す贈答品の食べ物をクモの糸でくるんで渡すが、包装の中身を食べ物ではなくゴミにしてメスを騙す場合がある」などの研究結果と比較するのも、あまり意義を感じなかった。人間とクモを比べても、意味がないようにしか思えない。こうした点はやや疑問が残ったが、総論として語られる「どれだけ男性が多くを学び、女性に共感しようとしても、女性が加害を受けて苦しむ心理を本当の意味で理解できる男性はほとんどいない」という著者の指摘は正しいと思う。この大きなギャップに橋をかけて、女性の恐怖や苦しみに対する理解へ少しでも近づけるよう努力すべきだという意見に賛同した1冊であった。