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レベッカ・ソルニット『わたしたちが沈黙させられるいくつかの問い』(左右社)

MEN EXPLAIN THINGS TO ME

アメリカの著述家レベッカ・ソルニットの最新訳書『わたしたちが沈黙させられるいくつかの問い』(左右社)は、位置づけとしては『説教したがる男たち』(左右社)に続くテキストであり、フェミニスト的主題が扱われている。私は『説教したがる男たち』を原書で読んだのだが、何が驚いたといって、表紙に大きく 'MEN EXPLAIN THINGS TO ME' と書かれた表紙のインパクトであった。直訳すれば「男が私に講釈を垂れてくる」とでもなるだろうか。これを書店で見つけたときのいたたまれなさ、「迷惑かけてごめんなさい」という気持ちは忘れがたい。頼んでないのに垂れてきますよね、講釈。本当に申し訳ない。『説教したがる男たち』は、女性に対してあれこれと上から目線で講釈しようとする態度を示す新語「マンスプレイニング」の語源ともなっている。その続編となる本書は、フェミにズミに関してさらに幅広い洞察に満ちた1冊である。

本書が問いかけるのは、女性が沈黙してしまう状況、発言をあきらめてしまう圧力についてである。なぜ黙らされてしまうのか。これまでの社会において、声を上げようとした女性の口を塞ごうとする、さまざまな力学が働く状況があったが、そうした力学が少しずつ崩れてきたのが現在ではないかとソルニットは述べている。「話す権利を持ち、信じてもらうこと、話を聞いてもらうことが一種の富だとすれば、いまその富が分配されているのだ」と彼女は書く。沈黙を強いる状況を打ち破り、発言を可能にすべきだというのが本書におけるソルニットの主張である。

人々はオンラインで嫌がらせをされ、悩んだ末に沈黙する。会話の途中で遮られ、黙らされ、矮小化され、辱められ、切り捨てられる。声を持つことは重要だ。それが人権のすべてとは言わないが、少なくとも中心的なものだ。そう考えることで、女性の権利の歴史、そして権利の欠如の歴史を、沈黙とそれを破ることについての歴史として再考することができる。

THE MOTHER OF ALL QUESTIONS

今回のタイトルである『わたしたちが沈黙させられるいくつかの問い』についていえば、ソルニットが英作家ヴァージニア・ウルフについて講演をした際、質疑応答で「ウルフは子どもを持つべきだったかどうか」という質問が出たことがきっかけであるようだ。これは質問そのものが間違っていて、ソルニットが考えるように、ある女性が子どもを持つべきかどうかについては「他人がとやかく言うことではないし、そもそも聞くべきではない」という結論に尽きる。そのように失礼かつ無意味な問いの前で、つい女性は沈黙したり、必死に答えを探そうとしたりする傾向がある。答えなくてよいのだ。代わりにソルニットはこう主張する。「何はともあれこう尋ね返すのを忘れないことだ──『なんでそんなこと聞くんですか?』」。われわれは、問いそのものを無効化すべきなのだ。

そういう問いの根源にあるのはこんな感覚だ。複数形の女性たち、つまり、人口の五一%を占め、残りの四九%と同じくらい多様なものを求め、同じくらい謎めいた欲望を持つ人間としての女性たちなどというものは存在しなくて、いるのはただ結婚し、子育てをし、人類用エレベーターかなにかのように男たちを受け入れ、赤ん坊を送り出すことを義務とする大文字の女なるものだけだと。煎じつめればこうした問いは問いですらなく、自分たちを個人とみなし、一人ひとりの生き方を探る私たち女性は間違っているという主張なのだ。

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フェミニズムは男性を必要としている

こうして本を読み進めていくと、男性のとどまるところをしらない加害性が怖ろしくなってくる。女性を加害することが、あたかも男性にとってあらかじめ与えられた権利であるかのように錯覚し、耳を疑うような発言、暴力的な行動を繰りかえす男性が、日々騒動を起こし続けている。いったいあれは何なのか。ソルニットは「(女性に対して加害的な)行動は、男性性とは何かについて性犯罪者が抱く怪物的な概念に根差している。多くの男性はそんな概念は支持しないが、それでも私たちすべてに影響を与える概念であることには変わりない。そしてそれはまた、女性にはできない形で、男性たち自身が是正できる問題でもある」と書く。本書には「フェミニズムは男性を必要としている」と明記されているのだ。この記述には心から安堵したし、自分には何ができるのだろうかと前向きに考えるきっかけが持てた。

フェミニズムは男性を必要としている。ひとつには、女性を忌み嫌う男性を変えられるからだ。女性にひどいことをし、女性について罵詈雑言を吐く文化が終われば、女性は男性同士がかばい合うのを助長するのではなく、それを防ぐことができるようになる。

「男性同士がかばい合うのを助長するのではなく」という文言を見て、また暗澹とした気持ちになってしまったのだが(世間には男性同士のかばい合いがあふれている。昨日も見たし今日も見た)、もうそろそろ他者に対して加害的であることを止めたいという気持ちでいっぱいだ。われわれはどうすれば変われるのだろうか、と考えながら読み進めた。私はいま、ソルニットの「フェミニズムは男性を必要としている」という言葉をすがるように信じている。

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