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肉まん抱えて歩く夜
肉まんを手に抱えながらコンビニから家に帰る夜が好きだった。
夜中まで勉強をして、晩ごはんを食べていなかったことに気がついた冬の夜はふと肉まんが食べたくなる。
家から歩いて数分のコンビニにダウンとマフラーを引っ掛けて向かう。
ついつい買ってしまうコンビニスイーツと一緒に肉まんを買って、レジ袋を片手にひっかけて、ほかほかの肉まんで冷え切った手を温めながら帰路に着く。
しんとした誰もいない夜に、自分の白い息が見える。手の中のぬくもりを大事に抱えて、そっと月を見上げると、勉強でギチギチに詰まった心がすっきりする。
そんな夜はひとりで暮らしている日々を少しだけ好きになれた。
でも、今のわたしにそんな夜はどこまでも遠い。
めまいに悩まされるようになってから、歩いてる時にバランスが取れなくなることも多くなった。
昼間でもよろけたり転んだりするわたしにとって、明かりの少ない夜道を歩くことは、山を登ることと同じことくらいに難しい。
ましてや片側にレジ袋をひっかけて、手に物を持って歩くなんて、危なっかしくて周りの人に止められてしまう。
吐き気がなくてふと肉まんが食べたいと思えて、
夜だから転ぶかもって不安にならなくて、
月を見上げただけでバランスを崩したりしない。
そんなわたしがいたのは遠い昔のことに思える。
またいつかそんな夜を過ごせるのかはわからなくて寂しい気持ちになることもある。
でも、「もうこれ以上耳が聞こえるようにならない」と説明されたときの帰り道の月も、
寝込んで一歩も家を出られなかった日に友だちが「今日の月は綺麗だ」って教えてくれてみた月も、
どれもあの夜と同じようにいい月だった。
体が元通りにならなくても、変わらずきれいなものはたくさん見つけられた。
ひとりでベッドの中で吐き気に耐える夜はつらくて仕方ないけれど、今日もあの日と同じ月は、しずかにわたしたちを照らしている。
またいつか肉まんを抱えて夜道を歩く日を夢見て、今日もわたしを明日に運ぼう。
あの月のもと、わたしは今も生きているから。