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ENHYPENの個別性

 ここ数日、I-LANDのことしか考えていなかった。

 仕事をしている時間以外は寝ても覚めてもI-LANDのことばかりが頭に浮かんで、一切の家事が手につかなかったが、そもそも普段から何一つ家事をしていないので生活に支障をきたすことはなかった。

 ここで読者の皆さんには疑問が浮かんだかもしれない。

 I-LANDとは何か。

 そんなものはGoogleで調べれば直ちに判明する。私が説明すると思って甘えた態度でいなかったか?もう一度その姿勢を点検しなおしてほしい。

 と、I-LANDの見過ぎで全ての態度が怖いダンスのコーチみたいな雰囲気になってしまっているのだけれども、I-LANDとは2020年に放送された韓国のオーディション番組の名前である。

 10-20代の、事務所に所属してアイドルを目指している候補生23名がアイランドと呼ばれる施設に集まり、7人組グループのデビューの座を賭けて争うというもので、これを聞いたI-LANDを知らない読者の9割くらいが「あー、はいはい」と思ったかもしれない。

 「あれでしょ、よくやってるあの、韓国のプロデューサーみたいなのがいいとか悪いとか評価して、みんなが投票する、一部の人が好きなあれでしょ。」と。

 私がI-LANDを見ることになったのは、I-LANDを経てデビューしたENHYPEN(エンハイプン)というグループを勧めてきた人がいるからである。勧められるがままに新曲のMVをYouTubeというインターネットサイトで再生し、ものすごいハマった

 かといえば全くハマることはなく「あー、はいはい」と思ったのである。

 「あれでしょ、よくみるあの、さらさらの髪の毛をまんなかで分けて、二人くらいブリーチして髪の毛を桃色や金色にしていて、ラップとかも混じってるメロディがあるようなないような、ダンスの激しい韓国特有で最近日本のグループにも多い、一部の人が好きなあれでしょ。」

 そう思った私は視聴をやめ、宇佐見りんさんの新小説を読んだり、ミステリと言う勿れというドラマを視聴したりして楽しい日々を過ごしていたのだが、件のENHYPENファンの人はわたしのそのような態度にどうしても釈然とせず、目の前で強制的にI-LANDを再生し始めるという強硬手段に出たためやむなく見始めたのだが、結局私は没入してしまった。えげつなく面白いのである。

 デスゲーム的に下のグループに落ちたり、復活したりといった動きが序盤はとてつもなく面白いのだが、人数が絞られた後半になってくると、人間模様やメンバー一人一人の個性が分かるようになり、脱落者がでるたびにとても悲しく、メンバーと一緒に泣いてしまう

 ということは流石にないものの、心のなかで泣くに相当する感情が動くのである。

 そして最終回、メンバー7人が決まり、まさか!と思う人がデビューできないところなどもドラマティックで、非常に見応えがあった。

 メンバーの顔と名前はもちろん、個性や性格なども分かった状態でもう一度ENHYPENの新曲のMVを見た私は号泣した

 ということは流石にないものの、心のなかで号泣に相当する感情が動いた。

 髪の毛が桃色で韓国っぽくて、などと言った最初に見た時の印象は完全にどこかに霧散しており、よく知っている彼らが世界を相手に頑張っている!しかもこの曲はセンターの彼にすごく合ってる曲じゃないか!などと興奮しきりで、私はすっかりENHYPENのファンになってしまった。

 それではプロデューサーの思う壺ではないか、と先ほど母に注意をされたのだが、思う壺なのである。

 ここでの教訓はプロデューサーに騙されてENHYPENのファンになってしまったというところにない。

 「あー、はいはい」の危険性である。

 私は当初、よくある韓国のグループね、と彼らをある雑な箱に放り込んで考えていたわけだが、彼らがデビューに至るストーリーを知り、一人一人の個人史の一部を知り、特徴や性格を知り、とやったことで、より解像度高く彼らのことを見ることができるようになった。

 例えば私がダンスを真剣に習ったりしたならば、さらにまた別の角度から彼らのことを解像度高く見ることができるようになるだろう。ダンスは習わないが。

 そうすると、BTSとENHYPENとSEVENTEENとTXTが全く違うということがわかり、これらを同じ箱にぶち込んでいたことの意味がわからなくなる。

 私はこのように、知ることによって個別性が際立ち、カテゴリが無意味になることは重要なことなのではないかと思っている。

 飛躍させて考えると、これは診断という行為に同じことが言える。

 ある病名をつけると、その病名、というか病態生理でしか人を見れなくなるという現象が医者には起こりやすい。

 妄想が了解不能ということで、了解できるそのほかの心理に対する介入が疎かになることなどはその典型である。

 カテゴリに分類するということは、全体の見取り図的に役立つとともに、ある共通点を持つ得体が知れたものと認識できるという安心感がある。

 一方でその陽の影にかくれた陰の部分は個別性が失われるということである。

 エビデンスのことばかり考えて個別性を見失うことの問題について私は繰り返し書籍で述べているのだが、医学に対してはそんなことを偉そうに述べておきながら、BTSとENHYPENとSEVENTEENとTXTの個別性を見失っていたことに大変反省した。

 ところでこのnoteは偽者論ができるまで、という文脈で書いているので、この話と偽者論について結びつけて考えると、むしろ逆の危険があるのではないかと気がついた。

 つまり、偽者論は、私が偽者なのではないかというところから一般化していく方向性の議論になっており、当事者研究とスタンスが近い。

 とすると、個別の問題を一般の問題と誤認して書いてしまうということがありうる。

 これはつまり、ジョングクの特徴を全てのK-POPアイドルの特徴というようなものであり、というと分かりづらいかもしれないが、長瀬智也さんの特徴をジャニーズ全体の特徴と考えることの危険性を考えれば、すぐにまずいことが分かるだろう。

 この辺りの議論は@yutomsmさんのこの記事にも影響を受けた。

 どのように考えながら原稿を詰めていくか、また考えなければならないだろう。

 I-LANDみてください。

*写真はENHYPEN JAPAN OFFICIAL WEBSITEより


偽者論、ぜひ読んでください!


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