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カムバからの「病気」についての連想
エッセイ集『倫理的なサイコパス ある精神科医の思索』(晶文社)
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がちょうど明日発売になるということで、カムバ期間に入っている。カムバというのはご存知の通り(ご存じではない)、カムバックの略である。カタカナではよく分からないと言う人もいるかもしれないがcome backといえばお分かりになるだろうか。
カムバとは明確にK-POP用語である。すなわち、新曲を出してテレビ(television)などに出まくる期間のことを指す。なぜカムバック(come back)なのかといえば、日本と異なり、新曲を出していない期間は彼ら彼女らはtelevisionにあまり出ない(らしい)。よって、新曲を出すことによってtelevisionにcome backするという意味があるようだ。
よく調べていないので適当なことを言っているかもしれない。ネット(internet)に書いてあることを信じてはいけないと私は中学(junior high school)のころ習ったことがあるが、このような適当な情報を書く人間(human)がいるからなのだと身をもって実感した。
ところでいちいち英語(English)をつけるのが面倒になったので、ここからは各自で調べていただけないだろうか。私にだって生活がある。茶碗や皿を洗う時間を返上して、私はいまいちいち英語(English)を調べているのです。
などと、どんどん脱線していってしまうのはnoteならではで、もう少し本は読みやすいはずである。
ここのところ私が考えていたのは、「病気」についてであった。
病気について考えるのは医者なので当たり前でしょう文左衛門さん、と私と誰かを間違えた人がそういうかもしれないが、意外に「病気」ということにこれまで注意が向いていなかったのである。
精神医学の領域で「病気」といったとき、私の脳内ではほぼ反射で、こういうものが「病気」で、それ以外は「病気」ではない「不調」だという考えが発生していた。
ところがこれがすれ違う。誰とすれ違うのか。
まず、精神科医とすれ違う。話が繋がらんなと思ってよくよく話を聞いていくと、「病気」としている範囲が微妙に違ったりして、違和感の正体はそれだったりする。
私自身ほぼ無意識に、ここからこのあたりまでが「病気」、とは思っているものの、微妙にその輪郭は曖昧なので、「病気」の範囲の違う精神科医たちと話していると、そういう考えもあるのかと思い、この範囲を少し変えてもいいのかな、みたいな気になってきたりもする。
それから患者さんともすれ違う。私の病気はなんですか、と聞かれたときに、その患者さんは、私の学術的理解のなかで「病気」という範疇には入れていないが、精神科医療の範疇で対処すべき「不調」であったりすることがある。「病名」だってちゃんとつく。
しかし、私の理解に基づいて「「病気」じゃない」、と患者さんに伝えると、しばしば「健康だと言われた」「もう来なくていいと言われた」「努力で治せと言われた」というふうに受け取られてしまうことがある。
これは、私のなかには「病気」―「不調」―「健康」という段階があるのに対して、患者さんのなかには「病気」―「健康」「甘え」みたいな対立軸があり、「病気じゃない」ということは「健康」なのに「甘え」ている、みたいに想像しやすいからではないかと思っている。
簡単ではないのは、以上のようなことを説明したとしても、あーそうなんですね、とはならないというところにある。
「病気」という言葉は「疾病」とか「疾患」とかよりもよりふわふわした言葉なので、医師、というか自分も含めなのだが、自身の持っている病気イメージみたいなものが投影されやすいのだろう。
ということで、「病気」をめぐるこのふわふわした思考の空中戦?について私は最近考えていたのだが、何事にも「病気」の側面と「病気じゃない」側面があって、両方を見ておいたほうがいいよね、みたいな結論に結局至った。
ふつうやん、という話なのだが、この話はそれなりに展開することができて、noteでこれ以上話すのは勿体無い気がしてきた。一冊の本として十分語れそうなことである。
ところで、このnoteを更新するのは随分久しぶりである。『偽者論』を刊行するにあたって、noteを頻回に書くよう金原出版の編集者の中立さんに脅迫を受けながら書き始めたのが最初だったが、『偽者論』が刊行されてからは、特別脅迫されることもなくなったために書くのをやめていた。
しかし、今回2年の時を経てまたこのnoteを書いている。ということは、、、
古畑任三郎でした。