心理学的に見た、魅力的な創作プロットの作り方とは。『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』(ふろむだ著)を読んで
まず、誤解を受けたくないために言わせてもらうが、何も小生が皆さんを「勘違いさせたくて」この本を読んだのではない。
小生自身が、「勘違いさせる力」によって支配されたくないから読んだのである。つまり、騙されたくないということだ。
というのも、俳句界は良くも悪も権威主義的である。身もふたもない言い方をすると、俳句の実力と、俳句界で響く声の大きさに相関関係はない。俳句ができる大御所もいれば、クッションマークがつく人もいる。別にそれは悪いことではないし、会社なんかに行くと実力とは関係なしに、出世する奴なんてごまんといる。
それはそういう世の中だから仕方がない。しかし、自分の人生において、いかにも本物っぽいまがい物に時間を取られることほど有害なことはあるまい。本書は心理学的見地より、そういった「勘違いさせる力」の正体について平易に解説している。知っておくことは、人生における強大なワクチンになり得よう。
下記では、小生が特に覚えておきたいことを書き出している。参考にしていただき、詳しくは是非本書をご一読いただきたい。
まあ、あとやっぱり、自分が本物になるための勉強や努力を怠ったらいけないなと、痛感させられた。頑張ろう。
・ホットハンドは存在せず、それを信じない人々。法則性の原理(P39~40)
たとえば、あるバスケットボールの選手が、3回も4回も連続でシュートを決めたとする。すると、勢いづいて、さらにシュートが入りそうな気分になってくる。英語では、そういう状態を「ホットハンド」と呼ぶ。当然、味方はこのホットな選手にボールを集めようとするし、敵はこのホットな選手を2人がかりでブロックしようとしたりする。認知心理学者のエイモス・トベルスキーらはこのホットハンドを分析し、「ホットハンドなど存在しない」ということを突き止めた。たしかに、シュートが入りやすい選手とそうでない選手はいるが、ある特定の一人の選手のシュートが入ったり外れたりする順番は、完全にランダムであることが確かめられたのだ。「勢いづいてシュートが入りやすくなる」とみんなが思っていたが、それはただの思い込みだったのだ。つまり、人々は、完全にランダムな現象の中に、ありもしない法則性を見出し、その法則性を利用して、何とかして勝利を掴もうと頑張っていたのだ。
ここで、最も重要なものは、その研究結果に対する、人々の反応だ。予想外の結果だったので、メディアに大きく取り上げられたのだが、ファンも、選手も、監督も、大方の関係者はそれを無視したのだ。彼らにとって、ホットハンドが実在することは、直感的に、疑いのないようなことなのだ。ほとんどの人間は、どんなにその反証となるエビデンスを突き付けられても、「直感的に正しいと思える間違ったこと」が正しいとしか思えず、それを信じ続けるのだ。これが思考の錯覚の持つ、最も恐ろしい性質だ。
・「だから」の罠…ハロー効果について(P87)
(本書の著者は、多くの会社を起業し、中には上場した会社もある。こう聞くと、著者が全体的にとてつもなく優秀な人間に思えてくる。これがハロー効果である。詳しくは調べてください。このことを前提に)
そもそも、起業した会社が上場したことと、その人の発言の内容の正しさに、何の関係がある?「この人の起業した会社は上場した。だから、その人の言っていることは正しい」この「だから」は、全く論理的ではない。この前提から、この結論を導けない。こんなものハロー効果以外のなにものでもない。
・コントロールしたい欲求(P128)
(人間は、自分にものごとの決定権(コントロール権)があると、健康でいられる割合が高くなるという研究結果を前提に)
この「コントロール感」の研究は、さまざまな形で行われており、それらの研究を通じてわかったのは、次のようなことだ。
・人間は、コントロールしたいという、強い欲求を持っている。
・コントロールできると、より幸せで、健康で、活動的になる。
たとえば、完全に運だけで決まるギャンブルをやったとする。その場合、多くの人は、相手が有能そうな時より、相手が無能そうなときのほうが、高い金をかける傾向がある。完全に運だけで決まるギャンブルなんて、相手が誰であろうと関係ないはずだ。なのに、多くの人は、掛け金をコントロールすることで、勝率を高めようとしてしまうのだ。
・判断の放棄…デフォルト値でいいやという直観と対処法(P168~173)
(臓器提供の意思表示をしている人の割合は国によって大きく異なる。主義や文化的な面があるかとおもわれたが、実は割合の高い国は「臓器提供をしない場合は意思表示をする」というスタンスだった。逆に言えば割合の低い国は「臓器提供を望む場合は意思表示をする」だったということだ。このことを前提に)
人間がデフォルト値を選んでしまう傾向があるのは、「判断が難しい選択」のときであることがわかっている。臓器を提供するかどうかは、判断が難しい選択だ。誤判定のリスクと、大きな慈善活動のチャンスを天秤にかけるが、どちらを重視すべきか、そんなものは難しすぎて判断のしようがない。恐ろしいことに、人間は、判断が困難なとき、自分で思考するのを放棄して、無意識のうちに、デフォルト値を選んでしまうことが多いのだ。
中略
判断が難しいとき、人間は考えるのを放棄して、直感に従ってしまう。しかし、判断が難しい時こそ、直感をアテにならない。なぜなら、判断が難しいときに直感が出す答えは、思考の錯覚に汚染されていることが多いからだ。だから判断が難しいときは、「思考の粘り強さ」が決定的に重要になる。「思考の粘り強さ」がない人間が、難しい問題について考え抜くのを放棄して、思考の錯覚の泥沼に沈んでいくのだ。
判断が難しくても、不確定性が大きくても、安易に思考を放棄してデフォルト値を選んでしまうことなく、粘り強く考え抜かなければならない。
しかし、現状維持と、選択肢Aと選択肢 B が、どちらも同じぐらいよさそうに見えたのなら、現状維持を選択肢から外れてしまうほうが、成功確率は高くなる。
・直感は過大評価する(P219)
人間の直感は、「すぐに思い浮かぶ情報」を過大評価するし、すぐに思い浮かばない情報を無視して判断する。
・無意識の価値観捏造…認知的不協和とその解消法(P247~256)
例えば、「肩書きの価値を否定する、ろくな肩書きのない人」の脳内でも同じ現象が起きている。「自分にはろくな肩書きがない」という事実と、「偉そうな肩書きには価値がある」という事実は、矛盾する。だから、人間は無意識のうちに、この矛盾を解決しようとする。「偉そうな肩書」を得られれば矛盾は解決するが、それは、そんなに簡単に得られるものではない。そこで、「無意識」は、「意識」の知らないところで、この矛盾を解決するために「偉そうな肩書」の価値評価を書きかえる。
中略
この矛盾のことを心理学の用語で「認知的不協和」と言うんだ。
中略
そして、くれぐれも、強い、美しい、豊か、健康、賢い、などの現実世界におけるプラスの価値自体を、自分の脳内で否定したりしないように、注意深く自分の無意識を見張る。「プラスの価値はすべて利用資源であって、それを否定すると損をする」と自分に言い聞かせる。こうすることが認知的不協和の解消につながる。
・心理学的に見た魅力的な創作のヒント(P268~270)
人間は、「一貫して偏った間違った物語」に説得力と魅力を感じるんだ。人間は、「バランスの取れた総合的な正しい判断」は、説得力がなく、退屈で面白くないと感じる。
中略
真実を語れば語るほど、あなたの言葉は勢いを失い、魅力を失い、錯覚資産はあなたから遠のいていく。大きな錯覚資産を手に入れたいなら、「一貫して偏ったストーリー」を語らなければならない。バランスのとれた正しい主張などに、人は魅力を感じない。それでは人は動かせない。「シンプルでわかりやすいこと」をそれが真実であるかのように言い切ってしまえ。本当は断定できないことを、断定してしまえ。
中略
そうすれば、あなたの主張には思考の錯覚の魔力が宿る。その主張の多くは味方を魅了し、ハロー効果を創り出す。そして、それは、大きな錯覚資産に育っていくのだ。
・感情のヒューリスティック(P293)
自分が個人的に嫌いなものは、常に邪悪だし、間違っているし、ロクなメリットがなく、リスクが高いのだ。自分が個人的に好きなものは、常に善良だし、正しいし、メリットは大きく、リスクが低いのだ。人間の脳内世界ではそういうものなのだ。
・ちょこっとメモ
別に権威を否定するわけだはない。権威が有効な場面だって存在する。ただ「あの有名な人が言っているから、間違いはない」と思うのは愚かである。
そういったことが蔓延る似非実力主義社会で生きていくためには、美しくはないが同調することも必要になってこよう。ただ、少なくとも、自分の人生における決断については、そういった偏見を排除して考えていきたいものだ。