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歴史を学ぶ意味とは。人生の教養が身につく名言集(出口治明著)を読んで

無知の善人との付き合い方(P88)

悪人とはゲームができるが、善人とはゲームができない(中野好夫)という言葉がある。ここで言う善人とは何かを100%信じ込んで、善意で周りに働きかけてくる人のことで、悪人とは利をもって取引をすれば交渉の余地があるので割り切った人間関係を構築しやすいが、善人とはなかなか難しい。こうした善人に遭遇した場合は「敬して遠ざける」のが一番だ。しかしそれができない場合は、数字・ファクト(事実)・ロジック(論理)で、正しい道筋を示し、誠実でかつゆるぎない態度で、相手の思い込みを撃破しなければならない。さもないと周りが迷惑を被ることになる。

(敬して遠ざける…論語の一節。この場合は尊敬するようにみせかけて、内心は疎んじること)

歴史には法則性がある(P114)

14世紀のイスラム社会の歴史家(兼政治家)イブン・ハルドゥーンの著書「歴史序説」は王朝が誕生し崩壊するまでに一定の法則があることを論じた。また、同書には「人間は本質的に無知で、獲得という手段を通じて知識を得る」という一文があり、人間は学ぶという能動的な行為をしなければ、知識を持ち、増やしていくことはできないことも指摘した。

人生の伴侶への覚悟(P216)

マイケル=オンダーチェの「イギリス人の患者」という小説(映画化されタイトルは「イングリッシュ・ペイシェント」)の一節「あの人の肉体は、私が飛び込んで泳いだ知恵の流れる川。この人の人格は、私がよじ登った木」。この一節は、「相手という人間」を川や木に喩え、勇気を出し、覚悟を決めて、相手の中に飛び込んでいき、苦労して努力して泳げるようになったり、登れるようになったりして初めて、相手という人間がわかってくるを示唆する。人生のパートナーとの付き合い方には、それくらい覚悟がいる。

・読了の感想・メモ

・幼少の頃より歴史が好きで、歴史ばかり勉強してきたが、周りの人からは「昔のことを知って何になる?」といわれ、それらしいことをその場ではつらつら述べていたが、小生自身も、周囲の人と内心同じようなことを感じていた。好きだから仕方ないと割り切っていたが、ずっともやもやしていた。

・本書のイブン・ハルドゥーンの頁を読んで、歴史を学ぶ意味に思い至った。歴史序説によると王朝は誕生から大体3世代(=120年)で滅亡する。第1世代は王朝を興した人々。王朝の成立は「田舎の人たちの中で「強い連帯意識」(アビサーヤ)が生まれ、強化され、都市を獲得することに端を発する。第2世代は奢移と安定から連帯意識が後退した世代。第三世代は完全に連帯意識が崩壊した世代のことを指す。そして、第3世代の時代に周辺(=田舎)より現状に対する不満等を内包した強い連帯意識が生まれ、克服するために、都市を獲得(奪う)。これを繰り返す。

・要は歴史を学ぶ意味とは、「過去の歴史から、人間社会の法則や本質を発見し、未来、あるいは現在に起こるであろう困難を予測し、克服するための行動の指針を定めるための礎を築くこと」なのだ。学ぶだけではだめだ。学んだことを、自分なりに整理して、法則性を探求し、自らの行動のバックボーンとしなければ、意味はない。

・内田樹の「日本辺境論」に通じる考え方だなと思った。

・唐の李世民に仕えた魏徴の「人生意気に感ず」(=人は他人の意気に感じて努力するものであり、金銭や名誉欲のために行動するのではない)という言葉は初めて知ったが、響いてくるものがあった。心に刻み込みたい。

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亀山こうき/俳句の水先案内人
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