「手放し」の停滞期も必要なプロセス
実は8月から10月くらいまでは「手放し」の停滞期だった。外気温が上がれば、築20年越えの木造家屋の室内が、どんな状況かお察しいただけるだろうか?私の自室は2階で風通しは抜群なのだが、何故か1階窓が全く開かない。いや、正確には2箇所しか開かなかった。それも、トイレと居間の欄間である。全く風が通らず、家自体が朽ちてしまうのではとヒヤヒヤした。結局9月に入りオーナーさんに確認してもらったところ、冬の寒さ対策で隙間を目張りしていたので開かなかった様だ。
こんな環境条件も相まって?、何故か整理整頓やモノの仕分けがままならない。全く向き合えない日々が続いた。頭ではせめて仕分けをしないと、片付かないことは良く分かっていた。でも体が動かない。正直に言うと、動かないのではなくやりたくない。焦る気持ちとは裏腹に時間だけが過ぎていった。
片付けができないのならと、次の仕事の準備をと別の作業をしても手につかない。かと言って、ぼーっとすることもできない。調べものをしても的を射ず、行動と頭の中がチグハグな状況に途方に暮れた。まるでアクセルとブレーキを同時に踏んでいる様な変な状態だった。
そんな時、換気や窓が開けられる様にと、一部障害となっていた建物の撤去、家全体の窓のメンテナンスが済むと頭の中が整理されてきた。建物が私のやる気を削いでいたと言う根拠はない。でも台所に陽が入る様になり、そこでの作業も捗る様になった。家の中も明るくなり雰囲気も変化した。
その後からモノの仕分けや処分を再開する様になった。仕分けをしている間も、先住人より調理器具など送って欲しいとリクエストがあって、発掘&発送をして少しずつ目に見える範囲の片付けが進んでいった。氣がつくと1階は段ボールのけもの道はなくなり、島の様に点在していた段ボール達も処分されたり「収納」として機能する様になり、適切な場所に集められ全体的にまとまった空間になってきた。
そんな折、越冬するには生活空間を1階にまとめた方がいいねと先住民から提案され、使われていない先住人の家具を物置へ動かす事になった。これでかなり不必要な動線が減り、暮らしのルーチンを計画的に片付けられる様になり安定感が出てきた。
ここまで来るのにはかなり時間が掛かった。怠けているつもりはないのだが、どうしても作業をしたくなかったり、何度かお願いしても人や物事が動いてくれなかったりして、思う様に進まなかった。今も「手放し」の真っ最中だが、自分の理想通りには動いてはいない。しかし、何かの加減でお互いの条件がピッタリと重なった時に、人や物事が動いている様に感じる。その「然るべき時」を迎えるために必要な「宿題」をコツコツと積み上げる必要があるのだ。「宿題」が何なのか、分かる時もあれば全く見当もつかない時もある。分かる時は宿題に取り組みやすいが、それは稀と言っても過言ではない。思うにノロノロと進捗が思わしくない時は、見えない部分の整理整頓が必要なのだと思う。その部分に関わる人が多ければ多いほど、カチッとハマるのに時間がかかるのだ。その様にして時間をかけながら、丁寧にパズルのピースを嵌めていくのである。それがきっと「手放し」に於ける「停滞期」なのだと思う。
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