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赦すもゆるさないも…

 ちょっと仕事上で気になったことがあったので、気持ちの整理をするためにアウトプットしてみたい。

 わたしも若い頃は、上司が自分の役割を全うしてくれない!とか、仕事してくれない!だとか、たくさん文句を吐いた口である。そこ口が言うか…と言う話ではあるが、まぁ聞いて欲しい。

 そんな若い時代を過ぎて、少し落ち着いて仕事ができるようになった頃、業務上でも「指導」と称してアドバイスをしたり、方法を教えたり、一緒に考える事をしていた中でふと思った。人は他人から表面的に指導されたくらいで生き方を変えられるものなのか?この時点で経験値としてNOと結論が出ていた。
 何故かと言うと、その人にしっかりと根付いている考え方は、そう簡単に変える事は難しいし、本人が変えたいと心から思っても行動に繋げてそれを続けていく事はかなり困難だからだ。ここで思うのは「三つ子の魂100まで」と言う諺で、成る程と思う。

 そんな訳で、最近わたしの信条や常識の物差しからかなりぶっ飛んだ出来事がわたしの周囲で頻発する。そう言う事態にはかなり慣れてきたと思っていたが、さすがに程度の問題もあり、初めの頃はとんでもない事態だ…と、心穏やかではない日々を過ごし気も揉んだ。しかしである。業務全体に及ぼす影響などはこの際横に置いて考えると、社会的に逸脱した事をしているのは、わたしではなくその人である。しかも新人などではなく、それなりに社会経験もあり立場はわたしより上である。落ち着いて考えてみると、えっと思う様な行動や言動はその人の選択だ。それをされて気分が悪かったり、業務が進まず迷惑を被るかもしれないが、基本的にその状況に関してはわたしの非はない。だからその状況に責任をわざわざ持たなくても良いのだ。
 何が言いたいのかと言うと、業務を停滞させる様な行動、言動はその人がした事でわたしには一切関係ない事柄だ。だからその責任を取る必要は一切ない。よって、状況をどうにかしようと奮闘したり、事態を収集しようと奔走する必要は全くないのだ。その責任はその事態を起こした本人が取れば良いだけのこと。ただ、自分の業務にかなりの支障があるのなら、自分が任せてもらえる範疇を確認して粛々と進めるだけである。
 捉え方が際どいので誤解される方もいるかと思うが、自分に与えられた使命に集中すべきで、他に気を取られない様にとも言い換えられる事を言い添えておく。

 なのでよく人の陰口でゆるせない…などと考えている方もおられると思うが、ゆるすもゆるさないも全ては自分の範疇にないのだと言う事をお伝えしたい。目に見える現象をどう捉えるか自分で選択できることと思うが、ゆるすゆるさないではなく、そもそも自分は関係ない事なのでそこに囚われない様にしたいものだ。…難しいが、回を重ねればできる様になる。そしてそこに使っていた時間を、自分の幸せのために使える様になりたいものだ。

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