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日々是好日

 先日両親の納骨をした。とは言え、私は故郷を遠く離れた地域に暮らしているため、分骨してもらって手元供養と言う形での納骨だ。人生は小説よりも奇なりと言うが、ここまで来るまでに本当に色々な経験をさせてもらった。この年になっても、まだまだ世の中の事を知らないと思い知ることも多い。本来なら故郷で納骨式に参列するはずだったのだが、台風の接近で飛行機が欠航となり参列できなかった。もともと母が父の分骨をしており、今回母の分と共に両親のお骨を引き取った形になった。

 人生で初めての納骨式だったのに参列がかなわず、それと引き換えに分骨したお骨をどのようにしたら手元に引き取れるのか調べることになった。
 皆さんはご存じだろうか?公的にお骨は発送できること、そして発送できる業者は1カ所しかないと言うことを。この情報は一生必要ない人もいると思うが、最近は墓終い等もあり必要な人は多くなっているのではと予測するので、知っておいて損はないかと思う。
お骨を扱ってくれる業者は郵便局で、ゆうパックで発送できる。故郷の兄弟に発送してもらい、遠路はるばるわたしの住む場所に到着してから約3か月。母の3周忌に合わせてお骨をそれぞれの厨子に納めることで納骨とし、ようやくホッとすることが出来た。

 経緯をサラッと書いているが、ここまでたどり着くまでには紆余曲折諸々があり、胃が痛い日々が続いた。時には理不尽に感じたり、悲しい思いもした。仏事で連絡が入ると、一気にテンションが下がったのを昨日の事のように思い出す。しかしようやく収まるところに収まったのだ、これからは自分の人生最後のステージに集中しようではないか。

 実はわたしにはやりたいことがある。しかしそのイメージが断片的であったため、約20年間全てのピースが全く繋がりがないように見えていた。
 人は必要な時に必要な人や物事に出遭うようになっているらしい。わたしがこの地に来てから、バラバラなピースが一気に繋がって行ったのだ。なるほどそういう事だったんだと納得はできたのだが、自分の力量を考えると実現可能なのか不安になった。
 とどのつまり物事は「やれるか」ではなく、「やり遂げるにはどうしたら良いか」なのだ。選択肢は2択、やるか、やらないかだけ。20年も温めて来たことだ、これはやるしかないだろう。

 わたしがやりたいこと。今細かく伝えることはできないが、最終目標としては地域づくり、仕組み造りだ。今はその基礎とも、きっかけとも言うべき事を現実世界に構築しなければならない状況だ。そしてそれは極々些細なことから始めることになる。
 現在はまわりの状況を観察しながら、どう動いていくことが全てにとって負荷にならないか、思案しつつ動かし始めたところである。本当に些細な事でも、物事を動かすと課題がわんさか出てくる。こう言う状況でわたしは俄然やる気が出てくるタイプであるが、若い時分には周囲に配慮ができない猪突猛進型だったと思う。その経験故に、決して力技ではなく、流れに抗わず、しかし物事は着実に進めるように働いていきたいと考えている。
 故郷を離れて今年で3年目、ようやく理解してくれる人たちと出会い、納骨完了のタイミングと共にチャンスがやって来たのだ。この好機は逃してはいけない。若い頃は何かと「やらない理由」を言い訳にして先送りにしていた傾向があった。1日1日を大切な時間と認識して、「あること」はきちんと気にしながら事を進めようと思う。1度しかない人生だもの、自分のやりたいこと、好きなことを成し遂げて、満足した人生の幕引きにしたい。

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