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大阪北部地震の日、私は


なぜ書くか

嘘みたいな一日だったのに、夢みたいにどんどん忘れてることに気づいたから。
あの日のことを覚えておきたくて、書きます。
長いけど、よかったら最後まで付き合ってね。


AM7:58

午前7時58分、いつものように阪急電車で通勤していたら、茨木市駅の目の前でガシャアアアンだかバリィイインだか、ものすごい音がして電車が大きく揺れた。
そのまま電車ごと吹っ飛ぶかと思った。

何?脱線?人身事故?と思ったところで、緊急地震速報が不協和音みたいに響いた。
そこで初めて、あ、地震、ってわかった。
のろのろ運転で茨木市駅に着いたら、電光掲示板が落ちていて、震えながらiPhoneで写真を撮った。
それからもしばらく、震えが止まらなかった。


電車しばらく動かないだろうな、ってわかってたんだけど、座れてたし、途方に暮れてそのまま電車で座ってたら、改札の外に避難してください、と指示があった。

とにかく阪急の駅員さんたちの対応が素晴らしかった。

「落ち着いて、改札の外に避難してください。案内板が落下する恐れがあるので、案内板の下では立ち止まらないでください。今後も大きな余震が来る可能性があります。阪急電鉄は、お客様にお怪我をさせたくはありません。落ち着いて、避難してください。」

って、繰り返し案内が流れていた。

不思議なもので、「こういう風に人を誘導をする時は、理由をしっかりと説明することが大事なんだな」とか冷静に考えていた。
他の乗客たちも、慌てたり騒いだりする人はいなくて、皆冷静だった。
駅員さんたちは、案内板の真下で腕をくるくるして乗客たちを誘導していて、それに気づいたらなんだか少し泣きそうになった。


AM8:30

茨木市から私の住む駅までは、特急列車で27分、Google Mapによれば徒歩6時間4分(阪急の特急めっちゃ速い)。
絶対電車すぐには復旧しないじゃん、これ東日本大震災の時に話に聞いたことある帰宅難民ってのになりそうだどうしよう、今日中に帰れるのかな、って働かない頭を働かせる。


近くにとりあえず座って時間つぶせるお店ないかな、ってうろうろしていると、近くにコメダ珈琲があった。ので入ってみた。
私と同じようなお客さんが何組もいたけど、店員さんは近所に住んでいる大学生バイト?(勝手な想像)みたいな女の子が一人しかいなくて、

ただいま満席で、コーヒーをお出しするのも難しい状況です!大変申し訳ございません!

って何度も叫んでいた。
なんとなくそんな気はしてたし、こっちが逆に申し訳ない気持ちになった。


AM9:00

さて、どうしよう。バスで帰れないかな。
阪急バスのホームページにアクセスすると、サーバーが落ちていた。皆考えることは一緒。
バス停を見て回る。とりあえず会社がある大阪方面か家がある京都方面に向かいたかったけど、そんなバスは一つもなかった。
そりゃそうだよな。だって茨木、めっちゃ電車便利だもん。

空港バスがあって、「もしかして空港経由で大阪か京都行けないかな!?」って一瞬考えたけど、時間とお金がかかりすぎるし空港は空港で混乱してそうだからやめた。
もはや全てを諦めて「数年前に新しくできた立命館の茨木キャンパス見学行ったら楽しいかな??(呑気)」とも一瞬考えたけど、バスがよくわからなくてやめた。


タクシーは長蛇の列。
京都までタクシーで帰ったら一体いくらかかるんだろう。
1万は軽く越すな、無理だな。
大阪の会社までなら、5千円くらいあればなんとか行けるかもな。

一体乗れるんいつやねんって言いたくなるようなタクシー列だったけど、途方に暮れてうろうろしてるよりは帰れる希望あるな、ここに並んで電車の復旧を待とうと考えてとりあえず並んでみた。



AM10:00

100人くらい並んでるけど、タクシーは、30分に1台くらいしか来ない。

でも前の人たちは、知り合いに迎えを頼めたり、もはや会社に行く必要がなくなって茨木市内の家に歩いて帰ったり、隣駅くらいだったら「歩いた方が早いのでは?」って諦めて徒歩で帰ったりして、結構列を外れてどこかに行ってしまう。
タクシーは全然来ないけど、そういう風にして列は時々前に進んだ。

私はトイレが近く(何の話)その上落ち着きがないので、後ろのおじさんに「ちょっと急いでトイレ行ってきます!」とか「ちょっとあそこ(目の前)の自販機で飲み物買ってきますね!」とか話しかけては時々列を抜けた(迷惑)。

(トイレに行く途中に通ったレストラン街の食品サンプルがヤバいことになっていた)


後ろの人は4-50代くらいの、昼間の新世界で自転車乗ってそうな感じのおっちゃん(伝わる?)だった。
泌尿器科の診察券とガラケーをずっと握りしめてそわそわしていた。
トイレから帰ってきて「すみません、ありがとうございました」って言ったら、「えらいことになったなあ」って言われた。


本当ですね。電車吹っ飛ぶかと思いました。
ほんまそれ。お嬢ちゃん、タクシー乗れたらどこまで行くん。
会社行こうかなって思ってて。梅田まで行けば歩けるんですけど。
は?梅田?めっちゃ遠いで、いくらかかるかわからんで。こんな状況でも、会社行かなあかんのか。
もう来なくていいよって言われてるんですけど、家が京都で、それはもっと遠いし高いから。会社行って、電車動くの待って帰ろうかなって。おじさんはどこ行くんですか。
俺は高槻(たかつき)行くねん。


時々そんな風に二人でおしゃべりしながら待ってたけど、2時間くらいしてふらっとおじさんはどこかへ消えた。
誰かに迎えにきてもらえることになったのかな、よかったな、ちょっと寂しいけど、って思った。


AM11:00

皆そんな風にして抜けて行くから、私の後ろの人は劇場みたいにくるくる変わった。

次に後ろになった人は、よちよち歩きの女の子とお姉ちゃんと母と祖母の4人だった。
よちよち歩きの女の子はベビーカーに乗っていて、時々ふえふえと泣いた。
ベビーカーのかごには大量のオムツが乗っていて、重そうだった。
女の子もお母さんもあまりにも可哀想で、「私並んどくんで、順番が近くなったら電話で呼びますよ。だからどこかに座ってゆっくり待っててください」って言いたくなった。
結局言えなかった。言えばよかった。そういうことは思ってるだけじゃ何にもならないから。
その人たちも、ふとどこかにいなくなった。
お父さんが迎えにきて無事帰れたとかだったらいい。

次に後ろになった人は、40代くらいのバリキャリOLって感じの人だった。
少しすると女子高生の娘が列に来て、「あんた!学校休みになったんだって!?一人で怖かったでしょう」って、バリキャリOLは瞬く間にお母さんに変身して、娘を抱きしめた。
「ちょうど起きてパソコン開いたとこやってんけど、テレビとか本とか色々倒れてきて怖かった」って娘は言った。
それからお母さんはどこかに電話をかけて、娘も学校が休みになって…電車も止まってしまって…タクシーもすごい列でちょっといつになるか…というようなことを言って、電話を切ると、娘に「さあ、帰るよ!」と言って列を外れて帰って行った。


後ろの人はころころ変わるけど、私の1つ前の人は私が並び始めた時からずっと変わらなかった。

彼女が電話しているのが聞こえた。たぶん、友達。
京都の家にも帰れないし、でも大阪の職場にも行けない…もうどうすればいいかわかんない…」って言ってる。東京の言葉だった。
勇気を出して、「あの、おうち、京都市内ですか?」と声をかける。
はい、と驚いて言った地名は、私の家から徒歩10分の場所。
一緒に帰りましょう!一体いくらかかるかって思ってましたよね…って話が弾んだ。帰ろう、と思った。


12:00

最初に後ろに並んでたけどいなくなったおじさんが、ふらっと戻ってきて「お嬢ちゃん、お腹空いたやろ」って菓子パンをくれた。
え、いいんですか、え、そんな、と慌てる私に、ええねん、はよ帰れたらええなあ、と言い残して、おじさんはまたどこかへ行ってしまった。


いつのまにか、タクシー列は私の番まで後10人ほどになっていた。

お腹空いたなんて思う余裕もないって感じだったけど、パンをもらったらお腹が空いてきて、ブールパンを食べた。

今まで食べたことのある菓子パンのなかで、一番おいしかった。
嘘じゃないよ。


PM1:30

やっと、やっと、やっと、タクシーに乗れた!!
一緒に帰ろうね、って約束していたお姉さんと乗った。

タクシーのおじちゃんの、自宅は高槻だそう。
京都まではあんま走ったことないな〜、あっテレビつけてあげるね、って言いながら、おじちゃんはカーナビのテレビをつけてくれた。
NHKは地震のニュース一色だった。

色んな人から電話がかかってくるから、ハンズフリー通話で対応してもいいですか?って言われた。もちろんです、って答えた。
すぐに奥さんから、「あんた、水買うてきて水! 水出えへんくなって洗い物もできひんわ」て電話がかかってきた。

「こんな混んでんの初めてやわ、お客さんらごめんな」
「もう座って帰れるだけで有難いです…」

なんて話しながら、テレビのニュースをぼーっと見たり、大変ですねってLINEニュースを見せ合ったり、疲れて眠り込んだりしてたらすぐに京都に着いた。

会計は9000円。想像していたよりずっと安かった。
きっとおじちゃん、端数はまけてくれたんだと思う。

お姉さんに、カード使えますか?あの、私現金持ってなくて、カードで払ってもいいですか?って聞かれて、私はお金あるんですけど、1万円札しかなくて、降りたらすぐ買い物して崩して払います、って言った。

母に「なんか買ってきてほしいものある?」って聞いたら「ヨーグルト」って答えが返ってきて、タクシーを降りたところのフレスコ(京都のスーパーチェーン)でヨーグルトを買った。

なんだかその時のレシートは捨てられなくて、今でも大事に取ってある。
15時31分。

4500円をお姉さんに渡そうとしたら、お姉さんは「私の家の方が近いから」「私の方が年上だから」と言って、頑として500円を受け取ってくれなかった。



つらつら

これで私の地震の1日の話は終わり。
すっごく長かったのに、ここまで読んでくれてありがとう。

つらつらと書きたいことが二つあるから、もうちょっとだけ書きます。


みんなやさしい

私の好きな映画、リップヴァンウィンクルの花嫁に、こんな台詞がある。

地震をきっかけにして、ひとの優しさが手にとるようにくっきりはっきり見えて、なんだかちょっと怖いくらいだった。
地震なんかなくても、これくらいくっきりはっきりひとの優しさが見えたらいいのに、私ももっともっとひとに優しくしたい、できたらいいのに、って思った。


どんどん忘れる

地震から1週間経った今、もう地震のニュースをテレビで見ることはほとんどない。

ここのところ、目黒の虐待死、新幹線内での殺人、ワールドカップコロンビア戦の勝利…とかとか、大きなニュースが立て続けにあって、前のニュースが次のニュースにかき消されて、次々と忘れられていく。

まだ避難所で生活している人たちがいること、自分の大事なひとが亡くなって悲しんでいる人たちがいること、どうか時々思い出して。


でもさ、忘れるよね。

アメフトの問題を、目黒の虐待死の問題を、一時的に騒いで、消費して、次のニュースが騒がれて、あんなことがあったなぁって思い出すことも無くなって。

忘れるのは当たり前だし、センセーショナルな悲劇を見て「かわいそう!」って悲しんだり怒ったりするのも当たり前だけど、それだけじゃきっとダメだから。
私たちは悲劇的なニュースと、どう向き合えばいいんだろうね。



さいごに

関西の人も、関東の人も、それ以外の地域の人も

本当地震気をつけようね! 今からできることやろうね!

木原は水を48本買いました。



22:30追記:

この記事を投げ銭式にします。投げ銭は全て以下に寄付します。



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