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人生は、喩えるなら

"読者の皆さんに問いかけてみたい。ほかならぬあなたは、人生を何に喩えるか。"

シンクロニシティ ― 未来をつくるリーダーシップ」を読み終えて、いつもは飛ばす監訳者解説を、ほんとにたまたま読んでいたら出てきたこの質問。

時間をとって考えてみて、人生は喩えるなら「花かんむりを作る過程」かなと思った。

まず花かんむりを作るには、花を集めるところから始めるんだけど、気に入った花を摘みながら、ちょっと先の花を目印に少しづつ進んでいくところとかが、足元のお気に入りとかしあわせをていねいに拾っていきたい気持ちと重なった。

集めた花は他の人にもあげられるし、他の人からもらえたりもするし、それもいろいろなものをシェアしたり交換したり恩返ししたり恩送りしたりしながら生きていく人生と似てる。

最初の方は花かんむりの材料集めタイムだから、とりあえず気に入った花をたくさん摘んでおく。それが割と人生の前半の時期なのかなと思った。とりあえずでもいいから好きや面白そうに手を出して、それらを自分の中にとっておく。

ある程度花が集まったら、好きな場所にすわって、集めた花を見ながらやっと花かんむりを編み始める。これが、気の向くままに手を出してみたものを見返しながら、さあこれからどれをどうしながら生きていこうかねって考えて、実行する時期。

編み方によっても使う花によっても違うものができるのもいいし、あとは編めば編むほど花かんむりが長くなって形として見えるのがいい。多分、どんな過去も今の自分の糧になっているなあとよく感じるタイプなので、今までの軌跡が形として残っていくところにも惹かれるのだと思う。

ゴール!完成!を目指すというよりも、編み続けていて気づいたら長くなっていた、という感じ。達成感に紐づく動機よりも、過程そのものの楽しさから進んでいたいなという感じ。

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せっかくなので、何人かにも聞いてみた。「人生は、喩えるなら?」

「海。楽しみ方が色々あって、前に進めば進むほど試練があるし、先を読むのも難しくなる。けどそれを乗り越える術を身につけることもできる。進んだ先に新しい出会いとか楽しみも待ってる。決められた進むべき道がないし、全てを知ることはできないけど、だからこそ自分なりの楽しみ方ができる。」

友達。めちゃぽい。

「PCTっていうアメリカのトレイル。まず、出会いと別れがあるところ。トレイルってみんな同じ道を歩くわけだけど、ペースもスタイルもバラバラで、波長が合う人も合わない人もいて。そんな中で一人ひとりが持つそういう感性をお互いにリスペクトしながら、一緒に歩いたり歩かなかったり、ある町では一緒に過ごすけどそのあとはまた会えたら会おうって別れたり。長く歩く人もいれば、途中でいなくなっちゃう人もいる。もう1つは、取捨選択が要なところ。自分にとって大切なものを自分で判断して自分で選びとっていかないと、全部背負ったら重くて苦しくて挫けちゃうし、切り捨てすぎても非常事態で死にそうになるか本当に死んじゃう。そのバランスが、要。」

友達。経験したからこそわかる彼女らしい喩え。

「自分で書いた、自分だけの壮大な小説。良いことも悪いことも素敵なことも悲しいこともあるけど、全て最後のハッピーエンドにつながってるから〜」

これはお母さん。ハッピーお花畑〜みたいな頭の中は遺伝らしい。

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この質問は、これ以上でも以下でもないのだけど、大切なひとのその人らしさや知らなかった一面を感じられたり、られなかったり。そこから深い対話になったり、ならなかったり。それ以上でも以下でもないからこそ、こういう質問がすき。


読者の皆さんに問いかけてみたい。ほかならぬあなたにとって、人生は、喩えるなら?


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