声で届ける「感謝の手紙」のススメ
手紙を書くのが好きです。誕生日とか、大きな行事が終わったときとか、節目のときとか。小学生のときに流行った手紙交換も大好きでした。
そんな手紙は毎回紙に書いたものを渡していたけれど、先日の「手紙を声で届ける」経験を通して大きな学びが2つあったので、ここに残しておきます。
「感謝の手紙」ワークショップ
手紙を声で届けたのは、ポジティブ心理学の授業の一環でした。
「感謝の手紙」というワークショップの内容は、このビデオの通り。
「今までの人生であなたにもっとも影響を与えた人をひとり思い浮かべてください」
「その人に関することをできるだけたくさん書き出してください」
指示に従って、思い浮かべた人がどんな人なのか、どんなことをしているのか、自分とその人のエピソード、自分がその人に思っていることなどを書き出していきます。
「その人に今から電話をかけるので、書いたことを読み上げてください」
というのがビデオ内の次の指示なのだけれど、授業で行ったのは手紙を書くところまでで、そのあと電話をかけるかどうかは任意でした。
せっかくならと、授業後の休み時間にかけてみました。
相手は1度目のコールで出てくれて、まずはさらっと事情を説明しました。その手紙を読み上げながら、予想外に感情的になってしまい、最終的にはぽろぽろ泣き出してしまいました。
そんな経験から気づいたこと、ふたつ。
感情は言葉では表しきれない**
まず、感情は言葉では表しきれないんだなということ。
相手に電話をかけながら涙を流すビデオの中の被験者を見ても正直、「それはちょっと大げさでしょ〜」と思っていたし、「手紙でありがとうを伝えるのは慣れているからそこまでこころが動くことはないだろうなあ」とたかをくくっていました。
「あの時、あの場所で、あなたがしてくれたこういうことが、とても嬉しかった」
文字にするとそれだけの情報。
でも声に出すと、「嬉しかった」では表しきれないその時受け取った情報や感じた気持ちが、溢れてきました。
どんなにこころが動いた出来事も、後日振り返った時には「嬉しかったこと」「感謝したこと」「感動したこと」などのわかりやすい、でもありきたりなラベルを貼られてしまっていて。
「嬉しかったこと」として一般化してしまっていたエピソードの、思い出すのではなく想い起こされる感情を、改めて体験できました。
感謝は思ったよりも伝わらない**
気づいたこと2つ目は、感謝は思った以上に相手に伝わっていないということ。
手紙を聞き終わった相手の最初の一言目は、
「ありがとう、そう思ってくれてたとは知らなかったよ」
でした。
手紙や日々の中でありがとうは伝えているし、このエピソードでこう感じたよ、というのも伝えていると思っていたので、それが伝わっていなかったのはおどろきでした。
伝えているつもりでも、思ったよりも伝わっていない。相手への感謝は数十倍にして伝えるくらいがちょうどいいくらいなのかもしれません。
声で届ける「感謝の手紙」のススメ
授業内のちょっとしたワークショップ、電話をしたのは5分程度でしたが、こころが動かされた経験でした。
あなたの「今までの人生でもっとも影響を与えた人」にも、感謝の手紙を声で届けてみるのはどうでしょうか。