塩の真実-①歴史
塩は、人間だけでなく動物にとって生きていくうえで無くてはならない物質です。酸素(空気)、水の次に重要な要素と言っても過言ではありません。
ところが、人間と塩の歴史ははっきりしておらず、中国大陸で前漢時代(紀元前206年 - 8年)に国で専売されていたのが最古の記録のようで、後は朝鮮半島の高麗の忠宣王(在位1298年、1308年 - 1313年)の時代に権塩法が施行し、塩の専売を行った記録があります。
日本では、『万葉集』に「藻塩焼く(もしおやく)」「玉藻刈る(たまもかる)」などと枕詞にあるように、海岸に打ち上げられたホンダワラなどの海草が天日で乾燥されて表面に析出した塩の結晶を、甕に蓄えた海水で洗い出し、塩分を海水のほうに移す作業を何回も繰り返すことにより鹹水(かんすい)を得ていたのではないかと言われています。
日本には古来より岩塩は存在していないので、縄文時代、弥生時代等はどのようにして塩を得ていたのか謎ではありますが、岡山県の児島半島では土器を使って海水から製塩していたと推測される遺跡が発見されており、古代から火を使って海水を煮詰めて塩を造っていた可能性があります。
◇日本の塩の歴史
日本では7世紀頃に、揚浜式塩田などの塩田法による製塩が発明され、明治時代頃まで続いていたようですが、比較的日照時間が長く降水量が少ない瀬戸内地方や能登半島が塩の産地の中心でした。
その後、干満の差を利用した入浜式塩田製法も普及しましたが、赤穂地方等の一部の地域に限られており、塩は高価な物として江戸時代は藩の財源として取引されていたようです。
明治時代に入り1905年に当時の大蔵省は塩取引の安定化のため塩の専売制を開始しました。
その後、大正、昭和初期と経済が拡大とともに塩は工業用を中心に輸入に頼るようになりました。
ところが、第二次世界大戦に突入して塩の輸入がストップし、専売制が維持出来なくなり自家製塩を認めるようになりました。しかしながら、自家製塩には不純物が多く含まれており、塩の品質は良くなかったようです。
戦後、1949年に日本専売公社が設立され塩の専売制が復活します。1950年代に入って流下式製塩法が国内で拡がりました。
さらに、1970年代に日本で発明されたイオン交換膜法によって、塩を大量生産出来るようになりました。イオン交換膜法は、工場において浸透膜と電気を利用して海水から塩分濃度(NaCl濃度)の高い塩水(鹹水)を作り出し、真空式蒸発缶で煮詰められて塩の結晶にします。
国内では、イオン交換膜法による塩が食塩として食用にも販売されることとなり、1972年に20年間続いた流下式製塩法は廃止されます。
1997年には塩の専売制度が廃止され、5年後の2002年4月に塩の販売が自由化されます。
また、塩の製造も届出すれば認められる(塩の製造の自由化)こととなり、少数ながら流下式製塩法等の海塩が復活して作られるようになり、その後、イオン交換膜法ではない手工業的な小規模製塩事業者が増加し、自然塩ブームが起きます。主として平釜方式と呼ばれる製法が多くの小規模業者で利用され、現在に至ります。
塩の歴史については、たばこと塩の博物館のサイトに詳細にまとめられていますのでご参照ください。
現在の日本の塩の消費は7割以上が工業用で、残り3割が食用ですが、食塩の8割以上はイオン交換膜製法によるもので、残りが国内産の自然塩や海外産の輸入となっています。
次回に続きます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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