人間革命1巻を読む①~「はじめに」~
きっかけ
この度、人間革命1巻を読んでいこうと思った大きなきっかけは、メンバーからの一言であった。
「小説『人間革命』って皆さん、全巻読んでいるんですよね」と。
確かにその通りである。
食べたことない料理を美味いと言って勧める人はいない。
同様に、読んでない本を進める人はいないだろう。
(仮に、いたとしてもせめて一言添えるべきだ。「僕は読んでないけどね」と。)
この危機感を感じ、せめて3回目は、各章を深く読んでいくべきではないかとの思いからまずは1巻を深く精読をしていきたいと思った。
(念のため補足だが、執筆者は、学生時代に「人間革命」読了、第二版発刊時に再読、「新・人間革命」も全巻読了。現在、「人間革命」の3周目に挑戦中)
研鑽意義
とはいえ、明確な大義は必要である。そこで以下の3つとした。
①「創価学会の精神の正史」である小説「人間革命」を皆と共に研鑽していき、次の後輩たちに伝えていけるようにしたい
人間革命、新・人間革命は、「創価学会の精神の正史」である。
正史とは「国家などが編纂した歴史」と言われる。この場合においては「創価学会の正当な歴史」ということであろう。しかし、忘れてはいけないのは「精神の」という点である。「仏法の精神」「師弟の精神」等々をすべて含めた「創価学会の精神」と捉えられる。すなわち、その精神性の歴史なのである。単に文字の羅列、文章を引き抜けばよいわけではなく「精神」を読まないといけない。しかし、自分だけの視野では、この精神は読み取れない。そのため、今後は同志とともに触発の場を作っていくことも考えていきたい。
②人間革命1巻の舞台は、日本の戦時中から戦後にかけてである。戦争の悲惨さを追体験していくと共に、公明党支援の意義を学ぶ
人間革命1巻は、戸田城聖が牢獄を出られるところから出発している。それは、1945年7月。日本の終戦は1945年8月であることから、まだ戦争は続いている。この惨劇を見て、戸田先生はどのような思いを馳せたのか、を追体験していくことで、戦争の悲惨さをまじまじと感じることができるだろう。
特に最近では、ロシアのウクライナ侵攻がそれと重なってくる。地政学的に見た時に、果たして日本は対岸の火事といえるのであろうか。とはいえ、我々の力ではどうにもならないことでもある。だからこそ、政治の舞台で活躍している公明党の議員が重要なのである。この1巻を通し、公明党結党の想いに迫っていきたいと思う。
③人間革命1巻は山本伸一が出てこないからこそ、読み取れることがある
人間革命1巻は、人間革命、新・人間革命の全43冊の中で唯一、山本伸一が出てこない巻である。著者池田先生の等身大である山本伸一がいないからこそ、池田先生の戸田先生への想いや、歴史観をストレートに感じ取ることができるのではないかと思っている。ここについては研鑽を進めていく中で深めていきたいと思っている。
人間革命1巻「文庫版発刊に当たって」を読む
「はじめに」を読む前に、第二版で記載されているのは「文庫版発刊に当たって」である。
とある。
ここで一度、「人間革命」、「新・人間革命」の執筆の歴史を振り返りたい。
1964年12月2日 沖縄の地で「人間革命」執筆を開始
1993年2月11日「人間革命」完結
1993年8月6日 長野研修道場にて「新・人間革命」執筆を開始
2018年9月8日「新・人間革命」完結
2月11日は、戸田先生の生誕記念日。
長野研修道場は、水滸会の研修の中で山本伸一が戸田の伝記を残そうと改めて決意される場所。
9月8日は、戸田先生が原水爆禁止宣言を示された日。
沖縄の地は、戸田先生の「この世から悲惨の二字を無くしたい」との思いから、最も辛酸をなめたこの地にしたのであろう。
この現実における日付や場所を見ていくと、池田先生の「戸田先生を宣揚していこう」「戸田先生の想いを残していこう」との強き情熱を感じることができる。
人間革命執筆時期と、今とでは大きく違うのは「宗門」との関係である。当然、歴史認識を改める必要がある。また捉え方も変わっているため時代に合わせる必要もあるだろう。
例えば、工事現場などで穴を埋めることを「めくらをする」やそのような器具を「めくら」という。しかし、現在「めくら」は、目の見えない人を指すため、あまり使うべき用語でないとされている。
このように、時代とともに認識は変わってくる。創価学会も同様である。「生きている宗教」であるからこそ、時代の変革に合わせて変わっていかなければならない。現存している世界三大宗教のキリスト教であっても、その聖書は、時代に合わせて編纂がなされており、現在では第26版となっていると言われる。
今後も「人間革命」「新・人間革命」また「御書」等も刷新されることはあるだろう。
刷新されたときに、大事なのは、歴史解釈ではなく、その精神性に重きを置くことである。その精神的支柱さえ崩すことがなければ、時代に合わせていくことは肝要である。
そのため、今回の研鑽では、とにかく「第二版」で学んでいくことを強く進めているのである。
人間革命1巻「はじめに」を読む
「人間革命」、「新・人間革命」を読むと、幾度か山本伸一は、戸田の小説を書こうと決意される部分が見られる。では、その一番最初はいつだったのかー調べてみると、新・人間革命9巻「衆望」に以下の記述があった。
山本伸一は、池田先生の一仏法者また一弟子としてのモデルである。そのため池田先生ご自身の著作に当たる必要はあるが、この部分をフィクションとして書く必要はないと思うと、池田先生の率直な思いだと思われる。
この文を虚心坦懐に見るとするならば、戸田先生との出会いは、池田先生にとって「本当にこの人に付いていこう」「この人を人生の師匠としていこう」と、人生を決定づけた偉大な人物なのだと感じることができる。
この部分から、p.7、p.8と、この書籍の書き方について書かれている。「人間革命」は小説という形式を取る。通常はこのような形式は取らない。他の宗教団体の場合、自らの団体のことを、客観的にみた歴史書として書くであろう。なので、あくまで「正史」にしかならない。
しかし、創価学会は「人間革命」「新・人間革命」を山本伸一という正しき仏法の精神を体現した人物をモデルを通して、その精神性に迫っている。その精神性を山本伸一から学ぶことで、私たちの信仰は色あせることがなく、また色あせらないようにしていけるのである。
これが「人間革命」における主題である。また「新・人間革命」にもそれは通ずる。
では、「新・人間革命」の「はじめに」にはどのように書かれているのか。
この二つの「はじめに」を見ると、「人間革命」の主題は、戸田先生を通して、その原理を示し、「新・人間革命」はその原理を応用し「戦争の世紀」から「平和の世紀」へ転じていこうとする宿命転換の応用なのである。まさに「師匠は原理、弟子は応用だ」(新・人間革命6巻「若鷲」p.366)を体現している。
ここで気になるのは「人間革命」の「あとがき」にはどのようなことが書かれているのかである。その重要となるポイントを抜粋してみた。
もともと、人間革命は戸田城聖が亡くなるところで終わる予定であったが、それでは悲しい。その弟子が立ち上がった未来への希望で終わるようになっている。そのため、12巻の最後の章が「新・黎明」とし、12巻は「人間革命」の中で最も厚くなっているのである。
このあとがき部分の決意を元に、「新・人間革命」の「はじめに」を読むと、そのつながりが見えてくる。
「世界の平和」と「人類の幸福」のために戦い抜いていくことが、「戦争の世紀」から「平和の世紀」へ転じていくことなのである、と。
そして、最後に、「人間革命」「新・人間革命」の全てのまとめである新・人間革命31巻下の「あとがき」を見ていきたい。ここでは重要であると思われる3か所を抜粋したい。
「人間革命」「新・人間革命」の執筆は、まさに激闘の中の大闘争であったに違いない。「人間革命」の筆を執られてから、完結までに28年。そして、「新・人間革命」の完結には25年かかっている。それは、自身の人生の半分を費やしたことになる。その池田先生の想いは、この新・人間革命30巻下の「あとがき」にすべてが詰まっている。
「戸田先生の偉大さをいかに宣揚していくか」、「戸田先生が伝えた師の原理を、弟子の池田先生がどう応用していったか」そして「次の世代にそれをいかに伝えきっていくか」―この精神を我々の今の世代は、読み切っていかないといけないと強く感じるのである。
まとめ
今回は、人間革命1巻の研鑽の意義と、人間革命1巻の「はじめに」を読むとともに、人間革命12巻の「あとがき」、新・人間革命1巻の「はじめに」、人間革命30巻下の「あとがき」を見ていった。この端々を見ただけでも、池田先生の戸田先生への想い、また私たち弟子への想いをヒシヒシと私は感じた。
この池田先生の想いを「人間革命」「新・人間革命」を通して、虚心坦懐に読み深めていき、次の世代に繋いでいくことが私たち弟子の使命であると、改めて実感するとともに、決意を新たにした。