本章では、ここ近年、話題になっている日本国憲法について記載されている。特に、9条における平和憲法に至るまでの経緯が記されいる。この経緯の部分については、今回はあまり触れず、戸田やその周辺の会員にフォーカスを当てていきたいと思う。
創価学会は現実を見て行動する。憲法の問題も、当然自身の理念に基づいてみていく。そして、そのうえで行動を起こすのである。
様々な主義や理念、思想がある中で、仏法どのように必要であるのか、創価学会の使命とは何かを、考察している。非常に長い箇所ではあるが、重要であるため、全てを引用する。
どのような思想や理念が、すばらしかったとしても結局のところ、人によって決まる。大哲理を持ち、そして一人一人が人間革命し続けることが、いかなる理想も哲理も生かすことができるのである。故に、我々の仏法は主義や思想を超越しているとも言えるだろう。
本当の信仰者は現実を見つつも、信仰の眼から見ることを絶対に忘れない。そして、必ず前身の方向に変えていくのである。
人間革命1巻から読み始め、あらためて思うのは、戸田先生自身が、獄中での悟達がなければ、今現在に至るまでの創価学会のスタートは絶対にありえなかったことだ。そして、師である牧口先生と共に入獄し獄中で戦わられたからこそ、ここで戸田自身が感謝を述べている。この師弟の想いを我々も日々感じ取っていかなければならないと改めて思った。
人はそれぞれ異なった性格、宿命を持っている。しかし、法が正しければ、必ず開けていけるはずである。しかし、他者の体験を聞いても、自分にはできないと思うこともある。また、学会の役職に飲まれ、彼は自分よりも上の役職だからと思ってしまうことも良くある。しかし、同じ法を使っているはずなのだ。結局は、その法をどこまで信じていくか、この一択しかない。
難解な理論を弄んでいる、と言われると正直、自分自身でも耳の痛い話である。しかし、このような取り組みをしながら、他人の心の内をできる限り表現できるようになったと思う。また寄り添えるようにはなったと思う。このような取り組みにのみ、取り込まれて行くならば、ここに書かれているようにうぬぼれている偽学者になってしまう。しかし、学会の中で活動していく限り、絶対にそれはない。様々な同志がいる中で、自身の未熟さを常に実感するからである。難しい理論や難解な言葉が通じる人たちだけで話すのは楽しいが、以下にそれを現実世界に落とし込み、使っていくかであると思う。単なる遊戯ではなく、現実に密接につながってこそ、価値あるものになるのだと思う。
私たちの信仰の最終目的は幸福になることである。これは、科学技術においても、企業においても、教育においても、究極的には同じ目的であることを忘れてはならない。そして、私たちの仏法をこの全てを包含しているからこそ、絶対的幸福境涯を築き上げることが最終目標であり、必ずたどり着くと約束されているのである。