アレの爾後
晩夏という言葉がひとり歩きしているらしい。
その実、ニセ晩夏が行き場をなくしているらしい。
およそ晩夏とは思えぬ暑さなのである。
――夢を見た。
幾重にも層をなすレジ袋の雲がどんどんと海に落ちてゆく。
淡い群青色の海は、たちまち真白い海に様変わりした。傍観者然としてレジ袋製のさざ波に浮かぶ私は、まもなく岸に打ち上げられてしまったのだ。
なぁんだ、「プラスチックフリー」な時流に押し戻されただけか――
今夏、わが家の台所の片隅にはレジ袋が幾重にも折り重なっていた。
順番に、四角くコンパクトにたたまれるその日を待っていた。
夏の果(なつのはて)
寝ても覚めても(ねてもさめても)
レジ袋(れじぶくろ)
レジ袋有料化の爾後3年、家中のレジ袋が一気に増えた今夏。
顛末はこうである――
「スマートムーブ」よろしく、足代わりの車を持たぬ私。
超猛暑に幽閉されるがごとく、外出を手控え巣ごもる日日。
されど、消費生活はつづくよどこまでも……
そこへ救世主・ネットスーパーの登場である。わが家の救世主、もといライフラインである。割高、配送手数料とあまりあるデメリットもなんのその、週に2、3度はネットスーパーを利用していた。そう、利用して「いた」のだ。
商品群ごとに小分けされたレジ袋、1回の注文あたりその数4、5枚。初回こそ嬉々としてそのレジ袋たちを四角くたたんだけれど。
「どうしたものか……」
積もってゆくレジ袋の層を見るにつけ、だんだんと違和感がつのってゆく。
渦中にいてアレだけれど、誰がためのレジ袋有料化……
そのジレンマに憂鬱になった。
「どうしたものか……」
苦慮して出した最適解は、「違和感を置き去りにしない」。
――目が覚めた。
違和感は控えめな正義に変わった。
エシカルの洗礼を受けた気分だ。
いよいよ地球沸騰の時代に災害大国に生きるひとりとして、
せめて、人由来の環境負荷は能う限り避けたいのである。
そのためになによりも大切なこと、「日常」。
だから、いま、ここから、またはじめようと思う。
当たり前の日常が当たり前じゃなくなるまえに……
エシカルな視点でものを選び、
エシカルな消費行動で明日を変える。
そんなエシカルな暮らしで未来をつくる。
心にエシカルを持て――
それが未来のためにできること。
小さくとも強いこころで、
自分も大切な人の毎日も、まもり抜く。
そんなはじまりの夏。
©2023 office calmingrain
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