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中学受験を振り返って2ver2
振り返って気が付いたこと〜トラウマを残さないために〜
ということで前回、記事に書いた通り、私の当初の塾へ行った目的はどこかへ行ってしまい、まんまと中学入試の世界で一番では無いが、いわゆるトップ校と称される環境によくわからずに入ってしまうことになった。男子校に行きたかったのは、多感な時期を何を考えているのかよくわからない異性と過ごしたり、地元のなんかパッとしない中学に行くのが嫌だったので結果的に、中学受験をすることになった。しかし、志望校のレベルというのを考えた時に、絶対に母校でなければいけない理由は特段無い。滑り止めの学校だって文化祭を見て何となく「行きたい」「良さそう」だと思った学校なので滑り止めとは言えこの中学校に受かったのも嬉しかったし、そこに行ったら行ったでまた違う自分があったかもしれない。あるいは地元の中学校に行っていたら勉強しかできなくていじめられていたかもしれない。
もし今、中学受験を準備している親御さんがこの記事を読んでいたら私の反省も込めて伝えたいが、両親の期待や目標と子供の望んでいることと目標が「本当に一致しているのか、共有できているのか」だけは受験の前に確実に確認しておくことをオススメします。そしてもし一致していないのであれば早い段階できちんと歩み寄れる所を探すことをオススメします。ここの乖離が大きければ大きい程、後々厄介になると実体験と周りの人を見て思います。
入学後のバーンアウト〜小学生時代にできなかったことの獲得〜
さて過酷な受験戦争が終わり進学校という私も私の両親も知らない世界に入った私は世の中の仕組みをよく理解していなかったので、中学に入った後も勉強が続くことを知りませんでした。進学校の勉強の進む速さは中学入試のそれ以上で、中学入試で息切れしていた私は全くと言って良いほど、カリキュラムに着いて行けませんでした。また進学校となると当然、お金のある良家の子息が通っており、私自身も地元の中では殆ど生活で不自由したことは無かったはずですが、更に裕福な子達がわんさかいました。そして小学校で勉強しかしていなかった私はその勉強も上手くできなくなり色んな意味で落ちこぼれて行きました。いわゆる「深海魚」ってやつですね。運動部も体力的に着いて行けず1年程で辞めました。母親からは「つくづく裏切られたよ」と散々、言われ続けました。(何を裏切ったのかよくわからないんですけどね笑。)
一方で中学受験時代に封印したゲーム、漫画などのサブカルにどハマりして行きます。通学中も、授業中も、家に帰ってもとにかく取り憑かれたようにゲーム、漫画にハマりました。夜中までゲームをしているので、授業中はゲーム以外では起きていられませんでした。小学生の一番、遊びたい盛りにそういうコンテンツを制限した代償は大きく付き、高校2年生になるまでの約4,5年のかなりの時間をゲーム、漫画に費やしました。運動部には中2から別の部活に転部しましたが、すでに出来上がっている人間関係に入って行くのは楽では無く、部活への取り組みも中途半端で、よくトラブルも起こしました。
反抗期と両親の別居
今から考えればこの頃の自分の精神というのは、反抗期に中学入試のバーンアウトが重なり更にゲーム依存が被ったのかな?と思いますが、中学受験にはこういう副作用が出るパターンもあるということを知っていただけたら幸いです。noteやblogを漁っていると、ちらほら中学受験後の副作用話を散見します。(ちなみに話は脱線しますが、中学3年の終わり頃、理由は伝えられませんでしたが、私の両親は別居することとなり、私は母方の実家で祖母と妹と4人での生活になり以降、父と母が再度、同居するまでの高校、大学、社会人のトータル9.10年間は父親とはほぼほぼ疎遠になり他人に近い状態にまでなりましたし、両親がまた一緒に住んだ後も、親子の関係性の回復にはとても時間がかかりました。)中学受験の後の予後や夫婦の関係性の変化も含めて本当に中学受験をするのか?予後不良になった時に、親子関係が大きく破綻することが無いようにちゃんと話し合えてるかそこまで含めて中学受験という高い商品だと私は思います。そこができないのであれば私はデメリットの方が遥かに大きいと思います。
教訓
今、塾に行って中学入試の門戸を叩いている親御達さんは「自分の家、自分達、自分達の子どもに限ってそんなことは無い」なんてことはありえません。リスクとして潜在的に中学入試の世界に入るということはそういうリスクも織り込まれている商品だということを本当に知っておいて欲しいです。ちなみに同じ塾から別の進学校に進んだ子で学校に馴染めず勉強にも着いて行けず、途中で退学した友達もいましたし、私が進学した学校にも高校に上がる前に転校する生徒や留年する生徒もいました。(数は少ないですが。)ということで前回と今回の2回に分けて冗長に中学受験というコンテンツについて私の実体験ベースに振り返って見ましたが、ちょっと後向き過ぎるので、もう少し何か得られる検知が無いかをちょっと書いてみます。
結局、貴様は何がいいたいのか?
私が言いたかったのは、中学入試は、小学生の遊びたい盛りの時に、莫大な時間を「やっている意味も価値もわからない勉強」に費やすので、「中学受験に合格すること」が目的・ゴールになっていると、その目標をクリアした途端に、人生のゴールと勘違いして、バーンアウトするリスクがかなりあるということです。そうならないためには、本人の目標と両親の期待のすり合わせがきちんとできているかどうかを確認することが大切ということと、「なぜそこまでして中学受験をするのか」という価値を問う問答をきちんと親子間で行うことが大切だと思います。私のように親に「裏切られた」と勘違いされたり、受験時の教育虐待のような指導で家族間の心のトラウマを増やしかねませんし、こうした心的なトラウマは成人しても後々、親子関係の溝やトラウマからの回復を遅くさせることもあるます。
それと私立の進学校の生活にも合う、合わないが人によってあるということです。若干、貧乏になってきた日本ですが、それでも上を見上げれば、生まれた瞬間から全てを持っているような良家の子女が来るのが進学校です。そこには著名な政治家、芸能人、幹部クラス官僚、開業医、大学教授、有名な学者、個人事業主の子供がわんさかいるということです。一般的な家庭出身の子供がそこに混ざって特殊な人間関係の中に入っていけるかもよく考えるべきことだと思います。じゃぁお前は中学受験して結局、良かったと思っているのか悪かったと思っているのかと言われるどちらとも言い難いです。良い部分もあれば悪い部分もあります。両方です。しかし、中学受験の副作用をもう少し、両親が理解してくれていれば、ここまで中学入試にトラウマティックな感情は抱かなかっただろうと思います。私にとっては中学入試はトップ校に合格しましたが、頑張って何かを成し遂げた達成感や良い思い出というよりは、やらなくても恐らく別の道があったであろう過去の辛い記憶であり汚点という感じ方の方が強いです。
ただし、ここで奇遇なことに私達、医師には「医師のバーンアウト」という昔からある職業人として自分を見失ってしまうような精神状態に陥るケースがあることが指摘されています。すでに中学受験でバーンアウトしたことのある私は今後もバーンアウトしない努力の仕方を模索していく必要があるということは自分に対するフィードバックとして、確実に言えることなのではないかと思っています。もう少しわかりやすく言うと「持続可能な努力の仕方」の模索が必要なんじゃないのかなと感じていますので、中学受験を終えて得られた教訓が全く無いわけではないという雑なフォローを入れて振り返りを終わらせたいと思います。