安倍元総理の国葬は合法なのか?
参議院選挙期間中に安倍晋三元総理が銃撃され死亡した。非常に残念である。容疑者は旧統一教会に恨みを抱いていたとのことで、旧統一教会と政治の関係が報道されている。今回は、安倍総理の国葬の法的根拠についてのみ論じたい。なお昨年8月に作成したレポートを内容を一切修正せずそのまま書いたものである。
行政法の観点
行政活動は多岐にわたり、専門的な知識が必要なことが多い。また三権分立の関係から行政活動を一つ一つ法律によって規制するのは手間もかかり現実的ではない。そのため、行政法では「侵害留保説」という学説が一般的である。侵害留保説とは、国民の権利を制限し新たに義務を課す場合のみ、法律の根拠が必要でありその他の行政活動には、行政権の幅広い裁量を認めるという学説である。国葬は、国民の権利を侵害するものでも新たな義務を課すものでもないため、侵害留保説に照らすと仮に法的根拠がなくても、政府の裁量の内だと説明でき全く問題ない。
内閣府設置法
一応政府は法的根拠として内閣府設置法第4条3項33号をあげている。第4条では、内閣府が企画立案する事務について書いてあり、同条3項33号では、「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」と書かれてある。この条文を根拠に毎年8月15日に行われている「全国戦没者追悼式」や東日本大震災の追悼式などが行われている。儀式が抽象的で何でもできてしまうとの批判があるため、儀式とは何かについて考えてみよう。国語辞典を引くと、儀式とは「節目の一つとして厳粛に行う行事。」と出てくる。なるほど、これだと何でも当てはまりそうだ。そこで国葬について調べると、「国家に功労のあった人に対し、国が主催して行う葬儀。」と書かれている。今度は葬儀について調べると「死者を葬る儀式。」と書かれている。つまり、国葬は葬儀であり、葬儀は儀式の一種なのである。確かに儀式という表現は抽象的だが、だからといって国葬は儀式にならないということではない。また、儀式をどのように行うのか規定がないとの批判や閣議で決めることへの批判があるが、侵害留保説に照らせば政府の裁量の範囲内であるため問題ない。
憲法
次に国会の議決に基づかない支出は憲法違反だ、との指摘を検証する。政府は予備費から支出することを決定した。憲法87条によると、「予見しがたい予算の不足に充てるため、国会の議決に基づいて予備費設け、内閣の責任でこれを支出することができる」と書かれている。安倍総理が殺害されることを誰が予測できただろう。そのため、今回の事例は、予見しがたい予算の不足に当てはまる。また同条2項には、「すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない」と規定している。ほかの条文(73条など)では事前、または事後に国会の承認を得ることが必要だと書かれているが、予備費については事後の承認が必要だとしか書かれていない。そのため、仮に事前に国会の承認を得た場合、憲法87条に違反する可能性がある。もちろん国葬を開くことについて政府には説明責任があるため、臨時国会を開くべきだが、そこで国会は予算の承認をしてはならない。