自分だけの表現とは――『三行で撃つ』再読中
「常套句は親のかたきでござります」
近藤康太郎先生の『三行で撃つ』を再読している。
はい、この言葉を目にするのは2回目。
なのに……なぜ、こんなに新鮮に感じるのだろう。
これら、全部常套句。ありきたりの表現だと頭に入れたはずなのに、何も考えずに使っていないか。
さらに、新聞でよく表現される
のような言葉も近藤先生によれば「としたもんだ表現」なのだという。
これも以前読んだはず。
私は新聞を読むのが好きだ。
だから、新聞特有の「としたもんだ表現」が結構頭に残っている可能性もある。
なぜこのような「としたもんだ表現」や常套句を使用してはいけないか。
先生によると、常套句を使用すると、自分の頭で考えなくなるからだという。
確かにそうだ。1回読んだはずなのに、自分の頭で考えてないからすーっと流れてしまった。前回『三行で撃つ』を読んだのが去年の8月。もうすぐ1年になるところ。読んで以降、先生の講座や出版トークイベントにも参加した。なのに、まだこのページが新鮮に感じるとは。何回も繰り返し読む必要がある。
頭を使って自分の見たものを表現する。たぶんその苦しい修業をする努力をしていない。本を読み、辞書を調べつくし、写経をし……。
自分だけの言葉で表現する努力。自分の書いた文章に向き合う。当たり前のことをまた書いていないか。
その表現、ちゃんと頭使ってる?
近藤先生の厳しい視線を感じます。