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悩みの沼から抜け出せないときには

みんな、生きていて楽しい?

By友達

この言葉は、最近、久々に会った友達から発せられた言葉である。
旦那さんがなかなか共感してくれない人らしく、朝から晩まで一緒の生活なので、息がつまるんだという。
悩みが深いようで、聞いているこちらまで辛くなってくる。

そうかと言って、優しかったときもあるので、離れることはできないんだとか。

他の知人も、お子さんが学校に行けない悩みを抱えていた。親としてはなんとかしてあげたくても、何も話してくれないので、対処に困っているみたいだ。学校の手続きもあるだろうし、進路を考えると気が気ではないだろう。でも、お子さんがゆっくりしたがっているのかも。

身近な人が悩みを抱えていても、私は聞くことしかできない。
しかし、聞いているうちに、自分の心がモヤモヤしてきて、暗くなっていく。最近、心が沈んでいくばかり。
みんな、真剣に生きているから悩んでしまんだろう。

そんなときに、こんなnoteを読んだ。
そこには、お子さんに「今日はとくべつな日だから、何をしてもいいよ」と言ってあげて、1日中好きなことに付き合ってあげた文章が綴られていた。

お子さんが精一杯に考えたことは、日常からそんなに逸脱したことでもなく、読んでいて微笑ましくなってしまった。「かわいいな」とこちらまであたたかい気持ちになる1日のできごと。

この文章を読んだら、最近の重苦しく暗い気持ちが、とっても明るい気持ちになったのだ。日常の、ほんのささやかな営みが私の心を暗いところから引き上げてくれた。

悩んでいるときには、その悩みにがっつり取り組むのもよいだろう。悲しみにくれて、どっぷり自分の感情を見つめる期間も必要だ。
でも、あまりにも長期間その気持ちに浸っていると、抜け出せなくなる。

そうかといって、無理に気持ちにふたをしようとしたって、何も感情は動かないかもしれない。

でも、ときには顔をあげて、周りに目を向けてみたい。
いつの間にか葉っぱが紅く染まっているのに気づいたり、好きな季節のスイーツのおいしさに気持ちがほっこりしたり。何気ない友達との会話に大笑いしたり。
気持ちがほんのちょっと動く瞬間があるかもしれない。

それが悩みの根本原因を解決することではなくても、一筋の光になってくれると思う。生きていてよかった、というには大げさ過ぎるかもしれないけど。

人生は1日1日の積み重ね。ほんの小さな喜びが、生きていてよかった、ということにつながるのではないだろうか。

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