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夫婦のあり方は自分の心次第
私は私のままでよい。
ある日の午後、私はありのままの私が夫に肯定されているのを感じた。
それは、結婚について考えていたからだ。
でも、今までの結婚生活30年間を平坦に歩んできたわけでもない。
別れが頭をよぎったことは1度だけではない。お金の使い方や子育てのことなど、さまざまな衝突があった。
どちらも頑固なので、言い合いになると、なかなか引かない。そして、意地の張り合いで、一旦けんかすると何日も口を利かなくなる。特に私が。むしゃくしゃして、もう、口を利く気力がなくなるのだ。
だからと言って、私は料理や家事を放棄するわけでもなく、夫も絶対に家に食べに帰る。私はどこかに飛び出して、外泊でもしたくなってしまうが、そんな行動に出たことはない。たとえば、返却していない図書館の本とか、仕事、いろんなことが頭をぐるぐる渦巻いて私の行動を制限する。
☆☆☆
私はふだん必要最小限の家事をしている。娘が2人とも成人して、子育てがひと段落してから、ますます手抜きになってしまった。料理にも力が入らなくなったし、部屋も散らかり具合がひどい。
しかし、夫は細かいことは言わない。あまりにもひどいと小言の一言は言うが。私がどんな状態でも、「○○してよ」「○○すべき」など、押しつけない。私に期待してないところが、気が楽。
私があまり稼げなくても、責められもしない。私もお金を散財しているわけではないせいもあるけど。私が興味を持って、どんな仕事をしようが、反対はしない。やりたいことに制限をかけられたこともないと思う。
それって、私が私のままでよいと肯定されていると思うのだ。勝手な解釈かもしれないが。
私が、面白そうなことにすぐ飛びつき、楽しそうにしていればいいのではないか。子どもみたいに「今日はこんなことがあったよ、あんなことがあったよ」と、ご機嫌にすごしていれば、夫は安心するような気がする。
私は夫に、もっとこうしてくれればいいのにな、と思うところはある。けれど、夫がありのままの私を受け入れてくれているように、私もそのままの夫を受け入れてあげないと。
だから私も、夫に求めないようにしようと思う。もっと話し相手になってほしくても、それは友達や娘に求めよう。
夫は、朝から晩まで文句も言わずに会社に勤めて家族のために働いている。それがどれだけ大変なことか。感謝しなければならない。
それを心にとどめ、態度でも示そう。
昨日と今日の私たち夫婦。何も変わってないけれど、自分の考え方しだいで、どうにでもとらえられる。
「愛」というには、くすぐったい気もするが、お互いをありのままに受け入れるのが愛なのだろう。夫婦のあり方はいく通りもある。理想の形を求めずに、自分たちの形を作っていけばいいのだ。