亀は兎になれないけれど
最近、めちゃくちゃ落ち込むことがあった。
それは自分が未熟なせいである。
本当にライターの仕事をこのまま続けていけるのか、続けていいのか自信がなくなった。いや、自信など最初からないのだが。
そんな気持ちが最近続いていたところだが、落ち込んでいるときにも、いいニュースもある。
ライター要素は少ないけれど、細々と続けている仕事がある。要領がいいわけではないので、いまだに時間がかかる。
クライアントさんから「誰か知っている人を紹介してください」と、お声がかかった。
それを聞いて私も嬉しくなった。私が信頼できない人だったら、「紹介してください」とは言われないと思うからだ。少しは私もクライアントさんに貢献しているのかも?と。
私は要領が悪いけれど、いいところは粘り強いところだと思う。
愚直なまでにやり続けること。
まだ「書く仕事」をあきらめない。あきらめたくない。
本当は向いてないかも知れない。得意なことが他にあるかわからないが、今やりたいことは「書くこと」に関する仕事。
50代も終わりにさしかかろうとしている。
こんな年齢から挑戦することではないのかも知れないと、ときどき心がぐらつく。周りは一回りも二回りも若い方ばかり。自分の娘と同じ年齢ぐらいの人もいる。
しかし、人生が終わりにさしかかり、「書く仕事」をやりたいと選んだのは自分なのだ。
だったら、愚直に続けるしかない。
小石だって少しずつ積み上げていくうちに、高さが出てくる。
亀は兎にはなれないけれど、ちょっとずつ進むのだ。
粘り強く続けること。
粘り強くといえば、はるか昔の子どものころもそうだった。
中学では急に数学が難しくなった。特に三角形の証明問題。
解けない問題があるのが、とても悔しかった。
それで、冬休みには証明問題が1問解けるまで、何時間でも考えることにした。
昼間取り組んだ問題集を終えるのは、外が真っ暗になってから。
でも、何時間かかけてようやく問題が解けた瞬間は喜びで一杯になった。
あのころのような体力や気力は、今の自分にはないのはわかっている。
残された時間が自分にはあまりないこともわかっている。
しかし、今稚拙なことも、やり続けているうちにちょっとはマシになるかも知れないではないか。そうやっていくうちに、人に伝わる文章を書ける人になりたい。