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毎日の授業✕学級経営

校内の先生の授業公開後、事後研修会がありました。その中で、授業をした先生から、

「子供がのってくる時は発言が多くなるが、そうでない時は特定の人の発表で授業が進む。どうしてその違いが出てくるのか分からない。」

との悩み相談が話題となりました。その点について、「授業を通した学級経営」という視点で自分の解釈および具体的な方法をまとめます。
これはここ数年、どんな学級を担当しても意識していることで、ある程度は上手く学級経営ができている(自分で言うな)と思っていることです。

結論は、毎日の授業の中で学級を育てること

そのために、教師はどうあればいいのか、何をしたらいいのか。
そのあたりを言語化しておこうと思います。

気になる方は続きをごらんください。


授業の準備

毎日の授業で学級を育てること。
言葉では聞いたことがあるかもしれません。簡単そうで難しいと思うのが担任を経験したことのある方なら誰もが思うはずです。

授業をしながら、子供たちの関係を築き、聴き合う関係をつくり、自ら学ぼうとする態度を育て・・・。奥が深い。難しい。たくさんありすぎる。

小学校の先生の場合、ほぼ全ての教科を担当しています。採用されて間もない頃は日々の授業の準備に追われ、学級経営など考える余裕もない人も多いはず。実際に自分もそうでした。
仕事の生産性を高めるためには、自分の授業改善が一番だと思います。
毎日8時から15時までは教室で過ごす中、授業の在り方を見直すことが必要です。そのためのステップとして、逆算する思考を身につけることです。

今日の授業、どうしようか?
次の教科、まだ自分で教科書の内容を把握していなかった…
公開授業の1時間、指導案を見ながら、時間通りに進めよう…

最初は本当にこればかり考えていたこともあります。それを毎日6時間・・・。そう考えると、多忙感をかかえてしまうことも無理はないと思います。それを解消するために、授業を1時間単位で切り取るのではなく、単元を意識した展開を考えることです。逆算をして考えると、

1時間の授業をどのように進めるのか。
→単元のねらいは?ゴールの姿はどうなっている?最終課題は?
→学期を通しての学びは?他教科との関連は?
→年間を通しての学びは?学年目標、教育目標との関連は?

このあたりを4月の段階で、少なくとも1学期分は見ておく。
夏休み、冬休みには残りの範囲も必ず確認する。
当たり前かもしれないけれど、以外にできていない方が多いと思います。

そのために必ずやっておくこと。それは教材の共有です。

学年で複数学級がある場合は、教科担当を割り振り、単元の計画を共有すること。ここでいう単元計画とは、学校や目の前の子供たちに合った導入とゴールをはっきりと言葉で表すことです。
現在の学年でも、教科担当を分けて、作成した資料は全てクラウドで共有しています。そこに担任のこだわりを加える形で授業をしています。

単級の場合でも大丈夫。教科書通りにまずは進めてみること。教科書は子供たちが学びやすいようにデザインされたもの。これを読解できる子供に育てたい。最近の教科書の目次には教科書の活用の仕方まで丁寧に書いてあります。今からでも子供たちと一緒に読み、自分で教科書を使って学ぶことができるようにしたい。
または、インターネットや書籍を活用すること。多くの情報が手に入れやすい時代です。よい実践は世の中にあふれています。それを取捨選択する能力は必要ですが、真似できることはどんどん取り入れていくことも、自分の観方、見方を深めるためには必要なことです。

教材を共有して、単元の中の1時間として扱う。年間の中の単元として扱うことができるといいですよね。

それでは、授業の準備ができていうることを前提に、具体例を述べていきます。

授業を通した学級経営

これは土井先生の書籍から多くのことを学べます。

特に印象的なフレーズを紹介します。

「ウラのねらい」は、教科内容よりさらに広く、「学級づくり」に直結するようなねらいです。(中略)「ウラのねらい」をつくるには教師自身がどのような学級づくりをしていきたいかという「育てたいクラス像」ひいては、どのような一人ひとりに育てたいかという「育てたい子ども像」を明確にすることが欠かせません。

土居正博 著「授業で学級をつくる」P69〜 引用

私にとって「ウラのねらい」とは、学級目標や学校教育目標と全てつながっていることです。私の自治体では学級経営案を4月に作成し、育てたい子ども像を考えます。それをいつでも見ることができるようにしておきます。常に、その姿を目指すことを念頭に置いて学校生活を送ります。

具体的に、対話ができる子供を育てたいとします。その場合、

対話をする場面を意図的に設けること。
そして、対話の仕方を伝えること。
最後に、対話をする良さを毎日、毎時間の数秒でも伝えること。

とある先生の授業で以下のような場面が見られました。

(挙手するが発表の途中でつまる〇〇さんを見て)
担任:〇〇さんの言いたいことを代わりに言える人?
△△:・・・・だと思うよ。私もおなじようなことを考えていました。

困っている学級の子供に対して、担任が手を差し伸べる一言を出す。
ここにも「ウラのねらい」があります。

困っている時にはいつでも助ける。だから、間違いでも思っていることを素直に話したらいいよ。

自分のことが認められる場があったら、自ずと発言できる子供が増えるはず。そうすると対話が生まれる。

さらにこの場面でもう一歩、踏み込むとしたら

〇〇さんどう?自分の思いが伝わってよかったね!(発言者のフォロー)
△△さんのおかげで、話が広がるね。ありがとう!(助言者の称賛)
△△さん、先読みの能力はすごい!みんなはわかった?(全体への共有)

個の姿を価値付けること、または全体への共有のどれかを選び、授業の中で毎時間伝えることを目指しています。時間にして数秒。それも、子供の姿を見た瞬間。

そこの価値付けは、一種のトレーニングだと思います。
子供の声を聞き、姿を見ながら常にその良さや行動の価値、教育目標とのつながりを言葉にすることを心がけてはいかがでしょうか。

言えなくても、頭の片隅にある状態で毎日過ごすだけで、言葉にできる回数は増えます。そして、子供たちにもその見方が広がります。さらに、自分も認められたいと願う子供や、自分も対話に参加したいと思うようになります。

授業を通して学級経営をしてみてはいかがでしょうか。

自分の思いを素直に言える環境

まちがったことを話してもいいのか。
「できません」「わかりません」と言ってもいいのか。
相手の発言に反対したら嫌われないのか。

このような不安はだれにもあります。でも、それが認められている場なら、さらに対話が進むのではないでしょうか。
逆に考えると、相手を否定する発言が少しでも聞こえた瞬間に、その芽をどのように摘むのか、担任は考えるべきです。そこをスルーしてしまうと子供は負の学びをしてしまいます。(ヒドゥンカリキュラム)

先日のCEC富山で行った自己紹介のように、自分の弱みを出す場を教室の中でも設けてはいかがですか。弱みを分かり合える場があることが安心できる材料となるかもしれません。

ほら、上司のまちがいを指摘できない関係って心苦しいはず。
常にトップダウンの職場は居心地が悪いはず。
悩み、困り感を言えない環境はつらいはず。

そんな学級や学年、学校にはしたくないですよね。

おわりに

今回の内容が、だれかのためになれば幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

コメント、質問などお待ちしています。

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