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感情の言語化、誰かを選ぶということ/『傲慢と善良』辻村深月

人の感情を言語化し、読者へイメージさせる力が素晴らしい本に出会った。
辻村深月という文章家に惹き込まれる一冊だった。

と評論家のような書き出しをしたものの、私自身「読書」というものを約25年間おそらく真面目にしてこなかった人間なので、こんなに信用のならない感想など他にないだろう。
もともとじっとしてるのが苦手な性格で、活字をじっと読む習慣もなかったため読書はしてこなかった。(漫画は読むけれど)
どちらかと言うと私は積読(つんどく)専門で、購入した本は読まずにほぼ全てをオブジェとして部屋に飾っていた。

逆に言えば、そんな自分が無我夢中に熟読してしまうほど飽きさせない魅力的な本だった。
『傲慢と善良』をどう言語化すればよいか、今も頭をフル回転させながらも字を綴っている。
ただ、文字書きでもないド素人の私がそんなプレッシャーを感じることもお門違いかと思いついた言葉をまとまりもなくつらつらと書くことにした。
こういう時に大事なことは、うまくまとめることではなくて最終的に「投稿」ボタンを押すことだろう、たぶん。

この『傲慢と善良』に感激した点を一言で表すなら、
「こんなに感情の言語化が素晴らしい文章を見たことがない。」

2人の登場人物(坂庭真実と西澤架)の結婚という「人を選ぶ」という人生の転機を場面にして描かれた感情は、もう、なんていえばいいのかな、もう読んでほしいんですけど。
あとがきを描いた朝井リョウさんの言葉をお借りするなら
「何か・誰かを”選ぶ”とき、私たちの身に起きていることを極限まで解像度を高めて描写」した作品。

なんていうんですかね。今まで読んだことのある小説の感情表現が、直径5cmくらいの正方形がいくつも重なってきれいにまとまっているなあと思うほどだとすると、
この作品はミクロの泡がひたすら奥から湧き上がってくる3Dのような感覚。自分自身が目に見えない細かなツブツブで覆うかぶさられるような。。。
言葉にすると嘘みたいで伝えきれないんですが、そういう感動がありました。


※※※ここからは作品のネタバレを含みます※※※

この作品を通じて「傲慢」と「善良」は対の関係として描かれています。
はじめは「架=傲慢」「真実=善良」という関係でスタートしますが、物語が進むとそれが逆転し入り混じっていきます。一言で「そう」と言い切れなくなっていきます。

架はアユという元カノと真実を心のどこかで比較し、真実に70点(正しくは70パーセント)という点数をつけてしまう。心のどこかで”ピンと来ていない”ものを持っている。結婚しようと言い出してこなかった分かりやすい傲慢があります。

では、真実はシンプルに善良側で、結婚を待つけなげな箱入り娘だったのか?真実は架のことを”ピンと来る”人としてとらえていたのか?ということだが、本作品には真実が”ピンと来た”とは一言も書いていない。と思います。

真実はストーカーがいると嘘をついてまで、架に私を選ばせたがった。(←最大のネタバレです)
なにが真実にそこまでの行動をさせたのか?シンプルな愛や好きといった感情だったのか?

第二部の真実目線の物語にてこう描かれます。
「もう親に結婚をせかされたくないの、嫌なの。
結婚している子たちからなにか思われるのが嫌なの。
結婚できないと思われるのが嫌なの。
ずっと『いい人がいない』と思ってきて、やっと『この人ならいい』と思えたの。」

・・・

「この人”なら”いい」と。
人を選ぶうえでの上から目線、「真実=傲慢」が表現されています。単純じゃないですね。

ここで第一部のはじめの部分である架がストーカー探しのために群馬を訪れてお見合い相談所の小野里というおばあさんと出会った際の会話を振り返ってみます。
この小野里さん好きです。

私自身も心に刻んでおかなければならない言葉としてここに残しておきます。

「うまくいく人は自分が欲しいものがちゃんとわかっている人です。自分の生活を今後どうしていきたいかが見えている人。ビジョンのある人。」

もう一つ。長いのでまとめると
「いまは情報が溢れているからか、結婚を前提として恋愛を求める傾向が強いです。自分にはこの人じゃない。ピンと来ない。ードラマなどを見て、ご自身に恋愛経験が少なくても『この人ではない』と思ってしまう。ー謙虚で自己評価が低いのに、自己愛はとても高いんです。傷つきたくない、変わりたくない。高望みではなく、ただささやかな幸せが掴みたいだけなのになぜ、と。」

架「違うんですね・・・恋愛相手を探すのと、婚活は。」
小野里「何をいまさら」
とこれまで一番、優しげに見える笑みで心底おかしそうに笑う。

本書の冒頭であるこの部分では、おおよそ架=傲慢を語っていますが、暗に善良で良い子と表された真実の中にも大きな傲慢があったと読者に伝えはじめています。
この後、第二部の真実目線を読み進めると真実の内に秘めた思いや考えから、より一層真実の傲慢さが露わになっていきます。
おそらく真実に小さな違和感を感じていただろう読者にとっては、その糸がほぐれていく感覚は何とも言えません。
それと同時に、自分自身も同じような思いや考えを持っていることに気づかされ、ハッとする方も多かったのではないかと。
私も自分自身を驕っていたところを槍で刺されたような気分でした。

・・・

私は真実の「善良さ」には正直共感できないところばかりだった。
入学する高校から仕事から結婚相手までも親から動かされてもなお、自分の意思を表せず、優秀な同級生や架の友人など俗にいう陽キャな人に一方的に嫌悪感をあらわにしている真実のことが好きではなかった。

ただ一つ、この作品の中で猛烈に共感してしまったところがある。
それは第二部から「ストーカーはいない」と架へ打ち明けるにかけての真実の行動や心情の動きである。
正直、自分にとって一番痛いところなので突いてほしくはなかったが、これは完全に負けた。完敗だった。打ちのめされた。

ずっと嘘をついていた、それも最も自分に近い人に。
それを正直に打ち明ける勇気もなく、家族にも言えず、結果宮城県の石巻という全く知らない土地に逃げてしまう。
少々「逃げ癖」のある私にとっては共感の嵐だった。
大学時代は部活動がブラックすぎて嫌になり位置情報をつかまれないように充電を落としたまま瀬戸内海まで逃げたことがある。香川でうどん食べて海で泳いで3日で帰ったが、めちゃくちゃ怒られた。ような気がする。けどあまりもう記憶にない。ただ、とにかく逃げたかったこと、自分の過剰にも部活仲間にも嘘に嘘を重ねて、取り返しのつかないくらいぐるぐるしていたことは覚えている。
前職からの転職も多少そういうところがあった。

真実との共通点でいえば、私も私なりの「善良」が良くない方向で働いていた。
「最後まで良い人と思われていたい」という理由で良い状態のままで逃げようとする。もしくは少しぼろが出たら逃げるように環境を変えてしまう。それが私の「善良」。自分の意志ではなく、他人からの嫌悪や批評を怖がって、理解され切る前に逃げようとしてしまう。だから自分の全部を受け入れてもらえるような友人がいないのかあ・・・けど、そんな人いないのが普通かあ、とか考えてみる。自分から殻を破って、他人に近づいてないんだから他人から寄ってきてもらえるわけないよね、とも思う。答えは出ない。

・・・

真実が架のもとを逃げてから写真館で2週間ほどお手伝いをし、その後地図を作る手伝いを始める。津波で多くの家屋が流されてしまった石巻の街を自分の足で歩きながら、無くなった家には赤いペンで「✕」をつける。
そして地図作りがスタートして2か月近く経過した頃、三波神社を訪れた。そこは偶然にも真実が写真館で見つけた結婚式の写真が実際に50年前に執り行われた場所だった。

そこで出会う石母田というおばあさん。この方の一言は真実だけでなく、私のこともすごく楽にしてくれた。たぶん忘れない一言。

「あんだら、大恋愛なんだな」

真実が架にも聞かせたいという理由が痛いように分かった。
自分にも思い当たる節のある、リアルなこと。
しかもこの小説を、その相手から紹介されて読みだしたこと。
でも、きっと、私も大恋愛をしていたんだと、この石母田さんに気づかされた。

「今の若い人だぢって、自分が恋愛してっかどうかも人に言われないぎゃわがんねぇの?」

ほんと、おっしゃる通りです。

この一言を言われた真実は架に連絡をする決心をします。
そして、再会。

結果的に、真実は再会し別れると思っていましたが、架は真実へプロポーズをします。

真実「あれだけ大騒ぎして、ー戻るなんて、そんなこと本当にできると思う?」
架「思う」
迷いなく言う。

真実が嘘をついていると架がわかってから再会までは数か月間空いていますが、その間の架の行動や心情の描写はありません。
ですが、ずっと架は決心していたのだと思います。

「この人は ーとても鈍感なのだ。」

「架のことが、ちゃんと好きだった。」と真実は自覚する。
ここでも真実は石母田の言葉を思い出していた。

三波神社で2人だけで結婚式を行うことになった真実と架。
結婚式中にも真実は「本当にこれで正しかったのか」と思う。だが、同時に「何がいけないのか」と開き直れるくらい強くなった。
一方、架は「いろいろあったけど、よかったなってー」と。
真実目線で架の気負わない鈍感さが表現されている。

最後まで真実目線で描かれているため架の心情はわからない。
ただ、架は真実と結婚することを決意し、真実もまた強く決心した。
本書の最後は、真実は『自分の意思』で架の手を握り返して終わった。

朝井リョウさんのあとがきも実に面白いから是非読んでほしい。

・・・

読んだ本に対して感想を述べることを自主的にするのはこれが初めてだった。
実は、これを綴りながら
「こんなに素晴らしい本なのに、やはり自分が感想を述べると薄っぺらいものになりそうだな・・・」と思い、もうやめようかとも思った。
けれど、これは最後まで書ききらないといけない。ここまで心を動かしてくれたものに対してせめて敬意だけは伝えたいと思い、半分くじけながら文字を打った。

いつかこれを読み返したときに、まだ描き切れていないこの本の素晴らしさや自分自身の心の揺れ動きを思い出しながら、おそらく後悔するのだろうと予想しながら終わりに向かっている。

せっかく感動したので辻村深月さんの他の作品も読んでみることにします。
約2週間、読み切るまでのわくわくをありがとうございました。

おわり



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