自殺予防から考える「教員は質?数?」
児童生徒の自殺予防のためには、
教員の「数」を減らしても「質」を高めるべきか?
「質」を薄めても、教員の「数」を増やすべきか?
(敢えて両方とるという答えはなし!)答えのない問いを考えてみました。
「児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議」で自殺予防教育の話し合いが行われました。大事だと思ったこと2点。
・自殺予防教育をするにも現場は「教員不足」であること。
・教員の「質」が重要である一方で、教員の「数」を重視すれば「質」が薄まる可能性もあること。
慶應義塾大学総合政策学部教授の中室牧子氏はこう言っています。
つまり、教員の「数」は諦めて「質」を高めたままシステムで解決していく。この会議の焦点は過疎地域の小規模校での話でした。しかし日本は今後人口が減少します。
日本全体過疎化です。核心をついているのかもしれません。
考えてみれば働き手が減っているのは教員だけではありません。
日本全体で労働人口が減っています。
そんな中、教員を増やす取り組みはキリがないのです。
「数」は諦めて、「質」を維持したままテクノロジーやシステムで自殺予防を解決していくべきか。
ここで大切となってくることが教育の目的。
教育基本法第1条は教育の目的を、「人格の完成」「平和的な国家及び社会の形成者」「真理と正義」「個人の価値」「勤労と責任」「自主的精神」「心身ともに健康な国民」と盛りだくさんに規定しています。
この盛りだくさんハイスペック人間を育てるためには教員の「質」も重要視されるべきでしょう。
ただ、今現場で問題となっているは「自殺予防」です。
「死なせない」というシンプルで究極の目的。
そのためには「数」?「質」?
私は「数」だと思っています。
理由は3点。
①価値観が多様化していく中、「自殺したい子ども」が先生に求める「質」も多様化し変化している。
②「数」が多ければ、「自殺したい子」にとっての「質の高い先生」を選べるチャンスも増える。(そういうシステムになってほしい!)
③「数」が多ければ教員の余裕が増え、その余裕が「自殺したい子」を救う。
本当、答えがなく思考がグルグル回っています。
そもそも「教員の質」って何なのか、
「自殺したい子にとって」という観点から見た時、
教員の質とは「相性」なのかもしれません。
指導力が高い、とか質の話ではなく、
(そもそも指導されたくないのかも)
自分にとって「一緒にいたい先生」。
だったら「数」ではないかと。
皆さんはどう思いますか。
まだまだ私も知識不足で勉強中です。
今後も質を高めるためにがんばります。