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「子ども」は形容動詞。

「次は柳瀬川ー。次は柳瀬川ー。」

平日、社会人が川のように電車に乗り込む中、

気づくと生まれ育った駅で降りていた。

駅前には寂れた商店街、

小さな図書館、

特に流行りのお店があるわけではない、

特に観光地でもない、

何もない町に、何かを求めて降りていた。

携帯はずっと電源をきっている。

社会とのつながりが怖い。

でも、だれかとつながりたい。


父に会いたくなった。

幼いころは何も考えずに目の前のことに

夢中になっていた。

自分のネガティブ気質の原因は

兄にしょっちゅう殴られ愛着面で支障をきたしたからだと

悪い思い出ばかり記憶していたが、

恵まれていたことも今は思い出される。

公園でよく野球をした。

習い事の習字、先生が優しかった。

「一人でも自分はやれる。」

そう思って社会人になり町をでた。

そのエネルギーで突っ走ってきた。

5年、

10年、

15年,

いつまで自分は不器用なのか。

エネルギーは尽きた。

今、小さい頃に遊んだ公園のベンチにいる。

この日記を書いている。

昔よりできることも増えている。

お金もある。

なのになぜこんなに苦しいのだろうか。

生きれば生きるほど、息苦しくなる。

自己認知はできている。

しかし自己認知するほど、みじめになる。

ビジネス本を読むほど、辛くなる。

「子ども」とは「自然な」状態だと思う。


名詞ではなく形容動詞。

人が言う「子どもにもどりたい」

とは

「自然な状態にもどりたい」という意味だと思う。

人工につくられた世界から

自然な状態にもどる。

それを求めて私は柳瀬川で降りた。

今から父に会いに行く。




【あとがき】
ついに会社をさぼってしまいました。
もう、限界、、
家族には言わず、
会社にも言わず、
居場所を失った自分。
今このnoteを書いている現在も鬱状態は変わりませんが、
6月20日は自分にとってとても大きな1日で、
ひたすら思いを日記に書いていたので、それをnoteにしようと思います。
読者さまには、全く実生活に役立たぬ記事ですが、
読んでくださって本当にありがとうございます。


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