【名盤伝説】 "Al Jarreau" Jay Graydonとの出会いで新たな魅力が輝きだした。
お気に入りのミュージシャとその作品を紹介しています。今回はジャズボーカリストのアル・ジャロウです。
1975年アルバム『We Got By』でメジャーデビュー。独特な声質とパーカッシブなギミックが特徴のJazzボーカリストです。それ以前に『1965』(1965録音。「My Favorite Things」「Sophisticated Lady」収録)や『Call Me (sings Al Green)』『Lonely Town, Lonely Street (sings Bill Withers)』(いずれも1975録音。「Look What You've Done for Me」「Lean On Me」などのスタンダード曲収録) があるものの、個人的には全く知りませんでした。
その後何枚かリリースされますが、私が初めてアルを聴いたのは『This Time』(1980)。AORサウンドの金字塔『AIRPLAY』(1980)のジェイ・グレイドンがプロデュースしたとの紹介文に誘われて購入して大正解でした。
アルバム1曲目からグレイドンサウンド炸裂の軽快な「Never Givin’ Up」。そしてラストの、当時売り出し中のアコースティックギターの名手アール・クルーとの競作タイトル曲「This Time」まで、捨て曲が全くありません。
参加プレーヤーもグレイドンのLA人脈総動員といえる豪華メンバーが勢揃いです。エイブラハム・ラボリエル(Bs)、ラルフ・ハンフリー(Drs)、カルロス・ヴェガ(Drs)、スティーブ・ガッド(Drs)、デビット・フォスター(Key)、グレッグ・マティソン(Key)、マイケル・オマーティアン(Key)、ジョージ・デューク(Key)、トム・カニング(Key)、ディーン・パークス(G)、ジェリー・ヘイ(Horn)、ラリー・ウィリアムス(Horn)、ビル・ライヒェンバッハ(Horn)、チャック・フィンドリー(Horn)など・・・。このアルバムに参加したミュージシャンクレジットでかなりお勉強させていただきました。
グレイドンとの出会いでアルの新たな魅力が輝だした、そんなアルバムです。
このアルバムの聴きどころはチック・コリアの名曲「Spain (I Can Recall)」のカバー。途中のスティーブ。ガッドとアルのパーカッションボイスとの掛け合い部分は何度聞いても鳥肌ものです。
そして翌年、同じくグレイドンのプロデュースで制作された『Breakin’ Away』(1981)でALの人気は加速します。Billboard Hot 100にもチャートイン。曲調は前作よりもポップチューとして洗練され、さらにドラムにTOTOのジェフ・ボーカロが参加し、彼の特徴であるシャッフル・ビートがアレンジに半端ない彩りを添えています。グレイドンのプロデュース作品としても1・2を争う出来だと思います。
そんなシャッフルビートが心地よい「We’re in This Love Together」やタイトル曲の「Breakin’ Away」と共に聴きどころは、前作同様スティーブ・ガッドとのパーカッション対決が聞ける「Easy」。前作の「Spain」とともに痺れる1曲です。グレイドンのプロデュース作品としては彼のギターはいずれも控え目ですが、アルバムトータルの出来は極上です。
アルのファンにとっては売れ線に走ったアルバムとの評価もあるかもしれませんが、当時リアルタイムでADLIB誌を片手に輸入盤屋に通っていた私にすれば、この2枚のインパクトは強烈なものがありました。
タイトル曲はグラミー賞のBest Jazz Vocal Performance, Maleを受賞。人気も絶頂期を迎えたと言えるでしょう。
続く『Jarrea』(1983)もAORファンには人気のアルバム。グレイドンのプロデュース3作目。オープニングの「Mornin’」はAORコンピにはよく収録されています。アルバム通して出来は決して悪くは無いのですが、前2作と比べると個人的な好みのフュージョン的なニュアンスが薄くなったかなと感じます。時代的にもやや硬めの音質がもてはやされクリアになり過ぎている分、今ひとつという印象になっています。
それでも「Step By Step」や「Love is Waiting」などの佳作もあり、魅力的なアルバムであることには違いありません。
グレイドンのプロデュースによる3枚をまとめて紹介しました。アルの持つJazzフィーリングに加えて、ロックやR&Bの要素を施すことによって、より洗練されたアダルト・コンテンポラリー(AC)なサウンドへと昇華させたのだと感じます。
その証拠に、グラミー賞をジャズ、ポップ、R&Bの3部門で受賞した数少ないアーティストの1人だとのことです。
その後、1985年のUSA for Africaにも参加されていましたね。「We are the World」をプロデュースしたクインシー・ジョーンズも彼の才能を評価していたのだと思います。
アルとの個人的な思い出は、1996年12月に来日した際の大阪ブルーノートでの公演。ニール・ラーセンがバンドマスターで、ニールのファンの方とご一緒させていただいたおかげで最前列で見た彼のパフォーマンス。目の前で歌うアルの唾を浴びながら見た体験は貴重でした。終演後に握手・サイン・写真という、当時の大阪BNでの3点セットを満喫させていただきましたw。彼の陽気で優しい物腰はとして印象的でした。
定期的に公演を行い、アルバムもリリースし続けていたアルでしたが、2017年に過労を理由に引退を表明した数日後に、呼吸器疾患のため76歳で亡くなられてしまいます。まるで自分の死を予期していたかのようで涙を誘います。
大阪での思い出だけでなく、輸入盤屋を彷徨いていた当時の記憶も、彼の音楽とともに決して忘れることはありません。