“Snakeman Show”
[RADIO DAYZ] 番外編 ラジオの枠を超えた伝説の"スネークマンショー"
1976年から78年にかけてラジオ大阪、東海ラジオ、ラジオ関東で音楽番組「スネークマンショー」は放送されていました。放送作家の桑原茂一、ラジオDJの小林克也、声優の伊武雅刀らによる謎の集団「スネークマン」が進行するもので、当初は曲間にコメントをはさむだけのアメリカンなDJスタイルでしたが、コメントがだんだん悪ノリして、単なる曲紹介にとどまらず、シニカルなギャグが炸裂するようになり大人気になったそうです。
当時の私は東京都下に住んでいましたが、神奈川県在局のラジオ関東(現在のRFラジオ日本)の電波の出力は微弱で、受信は大変困難でした。何か目的でもない限り決してチューナーを合わせることもなかったため、どんな番組を放送しているのかも知らず、スネークマンの存在も全く知りませんでした。
この番組は1978年にスポンサーの都合で終了してしまいますが、業界でも人気の番組だったため、79年に改めてTBSラジオで局アナが進行する番組内コーナーとして復活します。全国ネットの主要キー局だけに人気も全国区となりましたが、反面、その余りに過激な内容には批判も多く、番組のパーソナリティが代わった80年に、たった半年でそのコーナーも終了になってしまいました。
ところがその後は意外な展開となります。放送作家として業界に人脈を持つ桑原は当時人気爆発中のイエロー・マジック・オーケスト(YMO)の細野晴臣や高橋幸宏とも交流があり、YMOが多忙過ぎてアルバム制作のためにまとまった時間が取れないとの話を聞き、YMOの曲とギャグで構成するミニアルバムにするのはどうかという突飛な提案をして、奇跡のようなコラボレーションが実現します。そうして制作されたのがYMOの1980年リリースの『増殖 - X∞ Multiplies』だったのです。
ラジオ番組は知らなくともYMOは当然知っていました。ただその新作で炸裂するシニカルで過激なギャグは、当時私がいた大学のバンドサークルでは収録曲よりも話題になっていました。ここで私も初めてスネークマンの存在を知りました。
こちらのnoterさんが、このアルバムの内容について詳しい記事を公開しています。
個人的にテクノやパンクは正直疎いのですが(汗)、YMOやツアーに同行するミュージシャンについては別です。しかもこのギャグセンスたるや半端無しです。かつての深夜放送ファンだった私の心にも火がつきます。
『増殖』の人気に気を良くしたレコード会社は、その後スネークマンショー単独のアルバム企画を連発させます。翌81年にリリースの『SNAKEMAN SHOW - 急いで口で吸え』、『スネークマンショー 海賊盤』、『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』など立て続けにリリースします。発売とともに先を争うように手に入れて、肝心の楽曲などは飛ばしたギャグだけのオリジナル・テーブを作って皆んなで楽しんでました。
当時の仲間と何台かの車に便乗してドライヴする時など、カーステレオのBGMには時代のAORだフュージョンだとかで雰囲気出して・・・なんて感じでしたが、高速道路などで渋滞にハマると、必ずスネークマンのテープを流しては睡魔と戦っていたことを思い出します。聞けばどの車にも必ず1本はスネークマンショーのテープは常備されていたようです。
以前は、よくラジオドラマという企画があり、話題の小説などをドラマ化して放送することがありました。このスネークマン・ショーは、そんなショート・ドラマの連続ということでしょうか。耳しか自由にならない車の運転中には、もってこいのコンテンツだったというわけです。
今時にはポッド・キャストとかオーディブルとか、そういったコンテンツのことですかね。
ラジオの影響力や存在感が薄くなるにつれ、こうした制作費のかかる番組が無くなり、低予算で製作できる、生放送でパーソナリティのトークと音楽で繋ぐものばかりになっていきます。
コンテンツ流通の主流がネットとなり、特にラジオは電波を受信して聴取することもほとんど無くなり、全国のAM・FM局は等く良好な環境で番組を楽しめる時代になりました。そんな中でより多くの聴取者を獲得するためには、充実した聴く価値のある番組(コンテンツ)の存在に尽きます。そのための企画力と制作予算で勝負してほしいなと願うばかりです。
スネークマンショーが時代のレガシーになってしまうのは良しとして、新たなレガシーとなるものを見つけて応援したいものです。
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