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【名盤伝説】 洋物ROCK系まとめ

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1970〜80年代の洋物ROCK系のミュージシャンやアルバムを紹介しています。
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2024年9月の記事一覧

【名盤伝説】”TOTO / S.T.” (宇宙の騎士)

お気に入りのミュージシャンとその作品を紹介しています。US西海岸の人気ロックバンドTOTOのデビュー・アルバム『TOTO』(1978)です。 1970年代半ば頃にスタジオ・ミュージシャンとし活動していたデビッド・ペイチ(Key,Vo)とジェフ・ポーカロ(Drs)、デビッド・ハンゲイト(Bs)が、AORの帝王ボズ・スキャッグスのアルバムレコーディングに参加した際に意気投合し、友人・知人・縁故者を集めてバンド結成に至ります。 ペイチの父親はジャズ・キーボーディストで、ジェフの

【名盤伝説】”Boston / S.T. (幻想飛行)”

MASTER PIECE お気に入りのミュージシャンやその作品を紹介しています。1976年にリリースされたボストンのデビュー・アルバム『幻想飛行』です。 MIT出身で音楽好きな技術お宅wのトム・シュルツが卒業後に技術者として勤務する傍ら、自宅のガレージで自作のアンプやエフェクターを使い宅録に勤しんでいたといいます。私財を投じて自宅にスタジオで制作されたデモ・テープがCBSレコードに認められプロ・デビューへの道を歩みだします。 そのデモ・テープの完成度があまりに高く、アルバ

【名盤伝説】”Boston / Don’t Look Back”

MASTER PIECE 代表的なアメリカン・ロック・バンドボストンのセカンド・アルバム『ドント・ルック・バック』(1978)です。 前作のデビュー・アルバム『幻想飛行』(1976)から2年ぶりにリリースされたアルバムです。 セカンドも前作同様にハードかつメロディアス。USチャートでは初めて1位を獲得する大ヒットとなりました。 リーダートム・シュルツの制作スタンスは職人の域を超えて仙人のようだと揶揄されます。徹底した手作り(「コンピューターもシンセサイザーも使っていない

【名盤伝説】”Queen / A Night at the Opera (オペラ座の夜)”

MASTER PIECE UKロックを代表するクィーンのオリジナル4作目のアルバム『オペラ座の夜』(1975)です。 前作『シアー・ハート・アタック』で世界的な人気を獲得したクィーンです。 その勢いのままに自分達の音楽性を100%出し切ろうと練りに練ったため、実際のレコーディングに4ヶ月も費やしたという労作になりました。 クィーンの音楽をロック・オペラと呼ばれるようになるのは、このアルバムがきっかけだったような気がします。巧みなコーラス・ワークに漂うクラシカルな雰囲気と

【名盤伝説】”Queen / News Of The World”(世界に捧ぐ)

MASTER PIECE UKロック・バンドの貴公子クィーンの6作目のオリジナル・アルバム『世界に捧ぐ』(1977)です。 1975年のアルバム『オペラ座の夜』からのシングル「ボヘミアン・ラプソディ」の大ヒットでロック界の頂点を極めたクィーン。次作『華麗なるレース』(1976)でも「タイ・ユア・マザー・ダウン」などのキャッチーなロック・チューンや、日本愛に溢れる「手を取り合って」を収録するなど心をこめたアルバムをリリースしていたものの、「ボヘミアン…」の熱量を上回ることはで

【名盤伝説】”Fleetwood Mac / S.T. (ファンタスティック・マック)”

MASTER PIECE お気に入りのミュージシャンやアルバムを紹介しています。UK出身のロック・バンドフリートウッド・マックの10作目の『ファンタスティック・マック』(1975)です。 マックのデビューは1968年、当初はブルース色が強かったものの数々のメンバーチェンジを経てサウンドも変化していきます。オリジナルメンバーのミック・フリートウッド(Drs)と創生期から参加しているジョン・マクヴィー(Bs)を中心にクリスティー・マクヴィー(Vo, Key, G)と共にバンドの

【LIVE名盤】”Bob Dylan / The Band – Before The Flood”(偉大なる復活)

1966年の悲劇のバイク事故の後に、アルバムはリリースするもののライブ活動を凍結していたボブ・ディランが盟友ザ・バンドとともに再開した1974年の衝撃の全米ツアーの模様を収めたライヴ盤『偉大なる復活』(1974)です。 ディランのその頃までの経歴をざっくりと振り返り、この全米ツアーの後に行った後のアルバムとツアーについては、こちらで記事にしています。 改めて読み直すと、本当にざっくりで恐縮してしまいますが・・・ 70年代初頭のミュージシャンやファンの関係は、真面目という

【名盤伝説】”The Doobie Brothers / Minute By Minute”

MASTER PIECE US西海岸を代表するロック・バンドのドゥービー・ブラザース8枚目のオリジナル・アルバム『ミニット・バイ・ミニット』(1978)です。 初期の大ヒット作「Long Train Runnin」や「China Grove」などの泥臭いサザン・ロック・テイストが売り物だったドゥービーも、ソング・ライティングを担っていたトム・ジョンストンが体調不良で離脱し、途中加入ではあるもののバンドの顔となっていたジェフ・バクスターの元スティーリー・ダン人脈繋がりで加入し

【名盤伝説】”Deep Purple / Burn”(紫の炎)

MASTER PIECE UKハードロックバンドの雄ディープ・パーブルの8枚目のスタジオ録音アルバム『紫の炎』(1974)です。 1972年にレコーディングを中断して行われた初の日本公演の模様をおさめた『ライヴ・イン・ジャパン』がバンドの思惑とは裏腹に大ヒットとなり、その後に再開されたレコーディングの末にアルバム『紫の肖像』を73年にリリースします。 ところがこうした過密スケジュールに加えてバンドのフロントのリッチー・ブラックモアとボーカルのイアン・ギランの不仲が取り沙汰

【名盤伝説】”Deep Purple / Stormbringer” (嵐の使者)

MASTER PIECE UKハードロックバンドの雄ディープ・パープルの1974年11月にリリースしたアルバム『嵐の使者』です。 名盤『紫の炎』(1974年2月リリース)の興奮冷めやらぬ中で新作が発表されます。この頃のレコード契約は年間2枚が普通で、当時お小遣い生活をしている中学生には、そのペースにはとてもついていけませんでした。 悩み抜いたうえで厳選して購入するアルバムを、次から次へと、ある意味消費していくことなどできません。その分1枚1枚に執着があり大切に聴き込んでい

【名盤伝説】”Yes / The Yes Album (3rd)”

UKのプログレッシヴ・ロック・バンドイエスの1971年リリースのアルバム『サード』です。 前作まではクラシックの要素を織り交ぜながら複雑で難解な曲構成という、プログレの特徴を全面に展開していたアルバムでしたが、このアルバムからは複雑な構成はそのままにメロディがシンプルにストレートになり、ロック色が強まったかなり聴きやすい曲調に大きく方向展開されます。 こうしたバンドの方向転換には大概プロデューサーの意向が強く働くものです。確かにこのアルバムからはエディ・オフォード氏が共同

【名盤伝説】”YES / Fragile (こわれもの)”

UKのプログレッシヴ・ロック・バンドイエスの1971年リリースの4作目のアルバム『こわれもの』です。 同年3月に前作『The Yes Album (サード)』がリリースされ、それまでのバンドの方向性を大きく転換したイエス。よりテクニックを重視してキーボードがリック・ウエイクマンにチェンジします。ボーカルのジョン・アンダーソン、ベースのクリス・スクワイア、ギターのステイーヴ、ハウ、ドラムにビル・ブルーフォードというメンバーでレコーデイングされたのが、この『こわれもの』です。

【LIVE名盤】”Yes / Yessongs”

お気に入りのミュージシャンとその作品を紹介しています。UKプログレッシブ・ロック・バンドのイエスが1973年発表した初の公式ライブ・アルバムです。 1970年リリースの『サード』でイエスはロック色を強めて人気が出始めました。テクニカルな演奏を強めたいとキーボードをチェンジして71年に『こわれもの』、続いて72年には『危機』をリリースします。そして新作を引っ提げてさぁツアーだという直前に、ドラムのビルがバンド脱退して同じくプログレ・バンドとして人気のキング・クリムゾンに移籍し

【名盤伝説】”Wishbone Ash / Argus (百眼の巨人アーガス)”

お気に入りのミュージシャンとその作品を紹介しています。UKツインギターの大御所バンドウィッシュボーン・アッシュの3作目『Argus』(1972)です。 バンドの歴史は案外古く、1966年にUKデヴォン州で、スティーヴ・アプトン(Drs)、マーティン・ターナー(Bs, Vo)、グレン・ターナー(G)により結成されたバンドが元祖。その後ロンドンに進出してグレンの代わりにテッド・ターナー(G)とアンディ・パウエル(G)が参加して伝説のツィン・ギター・バンドのウィッシュボーン・アッ