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【名盤伝説】 AOR系まとめ

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AOR (アダルト・オリエンテッド・ロック) なミュージシャンの作品についての記事をまとめています。
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記事一覧

【名盤伝説】”TOTO / The Seventh One”

MASTER PIECE USロック・バンドTOTOの7枚目のアルバム『ザ・セヴンス・ワン』(1988)です。 TOTOデヴュー10年目、ヴォーカリストのジョセフ・ウィリアムスが加入して2作目のアルバムとなります。デヴィッド・ペイチ(key, Vo)、ジェフ・ポーカロ(Drs)、スティーヴ・ルカサー(G, Vo))のオリジナル・メンバーとマイク・ポーカロ(Bs)と、個人的には黄金期のライナップで『TOTO IV』に匹敵する充実のアルバムだと思っています。 アルバムトップを

【名盤伝説】”TOTO / Fahrenheit”

MASTER PIECE USロック・バンドTOTOの6枚目のアルバム『Fahrenheit』(1986)です。 アルバム『TOTO IV』(1982)の成功でバンドとしての地位を確かなものとしたTOTOでしたが、次作のレコーディング直後にオリジナル・ボーカリストの脱退というアクシデントに見舞われ、急遽加入した二代目ボーカリストもアルバム1枚限りでバンドを離れることとなり、短期間に三度ボーカリスト探しをしなければならなくなり、せっかくの上昇気運に水を差されてしまいます。

【名盤伝説】”TOTO / Isolation”

MASTER PIECE USの実力派ロック・バンドTOTOの5作目のアルバム『アイソレーション』(1984)です。 前作『TOTO IV (聖なる剣)』がメガ・ヒットし、次回作に多大な期待が寄せられる中で、前作録音直後にオリジナル・メンバーのベーシストのデヴィド・ハンゲイトが家庭の事情で脱退して、ポーカロ兄弟の次男のマイク・ポーカロが正式メンバーとして迎えられ、キーボードのスティーヴ・ポーカロと共に鉄壁の絆で結ばれたバンドとなったと思いきや、この新作録音中に同じくオリジナ

【名盤伝説】”TOTO / IV”

MASTER PIECE USロック・バンドTOTOの4枚目のアルバム『TOTO IV (聖なる剣)』(1982)です。 1978年にアルバム『TOTO』でデビューしたTOTO。デビュー作は順調なセールスを記録して上々の立ち上がりでしたが、その後バンドの音楽性を模索する中でレーベルからは厳しい評価を受けてしまいます。 メンバーはデビュー当時から変わらず、デヴィッド・ペイチ(Vo., Key)、ジェフ・ポーカロ(Drs)、スティーヴ・ルカサー(G., Vo)、デヴィッド・ハ

【名盤伝説】”Chicago / 18”

MASTER PIECE USブラス・ロックバンドの重鎮シカゴの1986年リリースのアルバム『18』です。 『16』で驚異的な復活劇を遂げたシカゴでしたが、その勢いでリリースした『17』の評判はぼちぼち、しかもその直後にバンドの看板のピータ・セテラが脱退してしまいます。理由は様々言われていますが、ツアー・スケジュールが体力的に負担となり、ソロ・アルバムを制作する話が持ち上がる中で、よりゆとりのある活動を望んだビータと、そんなバンドとソロの掛け持ちにメンバーがあまり良い思いを

【名盤伝説】”Chicago / 17”

MASTER PIECE USブラス・ロックの大御所シカゴの1984年5月リリースのオリジナル・アルバム『シカゴ 17』です。 前作『16』で大胆なサウンド・チェンジに成功したシカゴが、その勢いのままにリリースしたアルバムです。プロデュースは引き続きデヴィッド・フォスターが担当します。時代の流れでシンセ・ベースやシンセ・ドラムが多用されています。個人的にはあまり好きなテイストではないのですが、仕方ないですね。 一方で前作よりも甘めのテイストの曲が増えているような気がします

【名盤伝説】”Chicago / 16”

MASTER PIECE USを代表するブラス・ロック・バンドのシカゴの『シカゴ 16』(1982)です。 1967年にアルバム『Chicago I (シカゴの軌跡)』でデビューしたシカゴ。「クエスチョン 67 & 68」や「サタデー・イン・ザ・パーク」などのヒット曲を連発して絶大な人気を誇っていました。 しかし70年代も後半となると、バンドの中心メンバーだったテリー・キャスの突然の事故死(1977)もあり、その活動自体も低迷の時期に陥ってしまいます。 81年のレーベル

【名盤伝説】”Steve Kipner / Knock the Walls Down”

MASTER PIECE US出身のSSWスティーブ・キプナーのソロ・アルバム『ノック・ザ・ウォールズ・ダウン』(1979)です。 1950年US生まれのスティーブは、オーストラリアで音楽のキャリアをスタートさせます。1968年にイギリスに移住してTin Tin というバンドに参加して、1971年には「Toast And Marmalade For Tea」という曲でヒットを記録しました。そして1974年にカリフォルニアに拠点を移し、多くのバンドと共演しています。1981年

【名盤伝説】 ”Bobby Caldwell / Heart of Mine” AOR四天王。永遠のNYダンディー。

MASTER PIECE AOR四天王ボビー・コールドウェルの日本での人気を不動のものにした5作目のアルバム『ハート・オブ・マイン』(1988)です。 ボビーは1951年USニューヨーク出身。その後マイアミに移り、様々なジャンルのバントでギタリストとして活動します。1976年にシングル「The House is Rockin’」をリリースして、その独特なソウルフルなボーカルスタイルが話題となり、その後1978年マイアミを拠点とするTKレコードと契約、1stアルバム『ボビー・

【名盤伝説】 "Boz Scaggs" AOR四天王のアルバムを聴くなら先ずはこれから。

お気に入りのミュージシャとその作品を紹介しています。 AOR四天王の一人Boz Scaggs。1944年アメリカ・オハイオ州出身。今年(2024年)の6月で何と80歳になります。 1960年代から活動を続けていますが、ブルース色の強い作風で、個人的には好みではありません。初めて聴く方にはベスト盤『HITS』も良いとは思いますが、お薦めアルバムは『Silk Degrees』と『Middle Man』の2枚です。 まずは『Silk Degrees』(1976)。後にTOTOを結

【名盤伝説】 ”Michael Franks / The Art of Tea” AOR四天王。究極の無国籍サウンドに酔うアルバム。

MASTER PIECE AOR四天王認定。まったりゆったりサウンドの帝王、マイケル・フランクスの2nd『THE ART OF TEA』(1975)です。 幼少期から特別な音楽教育をうけることなく育ち、複数の大学で修士・博士課程を履修するなど、お勉強好きだったようです。ただ文学やアートにも関心があり、1973年にはマイナー・レーベルからアルバムデビューを果たし、そしてメジャーレーベルからのデビュー作となったのがこのアルバムです。 プロデューサーは名匠トミー・リピューマ。ア

【名盤伝説】 “Ned Doheny / Life After Romance” AOR四天王。カリフォルニアの蒼い風が似合うロマンティックサウンド。

お気に入りのミュージシャンとその作品を紹介しています。LA出身のSSWネッド・ドヒニーの4thアルバム『ライフ・アフター・ロマンス』(1988)です。 70年前半からソングライターとして活動し、1976年リリースの2ndアルバム『Hard Candy』で、幻想的でスローなナンバー「Get It Up For Love」が日本のAORファンの心を掴みにしてブレイクします。以降、定期的にアルバムをリリースしますが、本国での人気は今ひとつで、この『ライフ・アフター…』も日本発のア

【名盤伝説】 “Gino Vannelli ” 見た目と音が一致する熱唱ボーカリスト。

MASTER PIECE カナダ出身の暑苦しい系ヴォーカリストの第一人者、ジノ・ヴァネリの代表的なアルバム2枚を紹介します。 当時のジノは、毛髪もじゃもじゃ、胸毛わさわさ、ツバキと汗を周りに撒き散らしながら、そこまで歌い上げなくてもいいのにという位の熱唱スタイル。音楽もポップチューンからバラードまで、ここまで詰め込まなくてもいいのにと思えるほどの音の渦・・・これほどまでに見た目と出す音が一致しているのも珍しいです。プロのシンガーの中でも熱狂的に支持している人が多いと聞きます

【名盤伝説】 “Christopher Cross/ S.T.” 爽やかな南風を感じるAORの名盤。

お気に入りのミュージシャンとその作品について紹介しています。AORの定盤クリストファー・クロスの同名タイトル”Christopher Cross (邦題: 南から来た男)”(1979)です。 1951年USテキサス州出身。確かに南から来た男です(笑)。爽やかなハイトーンで優しく歌い上げるスタイルから想像される容姿とはかなり異なり、やや太めのおじさんでした。(自身の公式ホームページの写真がこれですから…) 素顔も公開せずコンサートも行わない、楽曲の出来だけで勝負したプロモー