わからないまま生活が続く
REITAさんが亡くなった。
豊洲ピットへは足を運んだが、中に入れず外で待機。ファンの女の子やメンズもちらほらだが特に何か接点があるわけでもなくただ皆同じ想いで集まってきた人々。
豊洲の空は、少し曇天だったが左手の川麓や裏ではファンが集まって音漏れを聴いていた。中にはスマホ片手にHERSEY(ガゼットのファンクラブ)から会場内のMCを聴いているメンズも。
人が亡くなるということは呆気なく、なんだか空っぽになったような気分だった。感傷的になるのかと思いきや、そうでもなく何かが自分をそこに呼び寄せてただ一人混ざることもなく何が此処にいる理由なのかをただひたすら考えていた。
ガゼットを知ったのは学生時代の"STACKED RUBBISH"がきっかけ。攻撃的なサウンドやヘビィな音作りにから奔放な世界観を感じると共に世界がガゼット色に染まって行くのをじんわりと感じていた。
あれから17年の月日が経ち、今だにあの日の影を追ってしまうのはガゼットというバンドやREITAさんの存在が少年時代の自分にいかに大きな影響を与える存在だったのかという事がわかる。
画面の中でしか観ることのできない存在。地方の田舎でギャ男をしていた自分には衝撃的なスリルある存在だったから。
今大人になってあの時代のビジュアル系を聴き返してもあれだけインパクトのあるバンドは数多の数いる時代だったにせよガゼットとDirだけだったと思う。(他盤のファンの方はごめんなさい)
そんな憧れのバンドのベーシストがあっさり亡くなった。突然すぎて、言葉も出なかった。
なんだか辛いのに涙も出ないような、そんな日がいつか懐かしく感じる。
おれは何のためにあの時代に東京でバンドをやっていたのか。今思い出しても、東京でバンドをやるリスクは大きすぎる。なのに皆夢を追い求めたがる。
そんな東京で、大した成果も上げれず終わった過去の続きがまだどこかに気持ちが残っているのかすらもわからない。
それでも、欲しいものがバンドにはあった時代だったから。
メンタルがどんどん弱くなっていったのは何故かわからないが、それでもおそらく薬や自分の身の回りで起こる不快な出来事が関係していたのは事実。あの頃関わりがあった人で付き合いがある人間は実質的にほぼ居ない。それでも、濃い時間だったことだけはすごく覚えている。
REITAさんは亡くなるその前に何を思ったのだろう。ガゼットは永遠だったとしても、REITAさんは何処へ行ってしまわれたのだろうか。
ベースの音は、豊洲ピットの外へ聴こえているのかどうかすらもわからなった。
またあの音が聴きたい。聴けなくても、いつかまた必ず、ステージで聴けることを願って。
2024.6.6 6:37 PM
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