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故人を偲び地域振興を想う

こんにちは BOKUです。
お盆を過ぎた頃、人生の大大先輩(仮称:Kさん)が旅立たれました。
血の繋がりはなかったけれども、親族以上に人生について多くのことを深く学ばせて頂いたことを思い出していました。
今回は故人を偲ぶということで筆を取りたいと思います。


思い出

Kさんとの出会いは、およそ7年前に遡ります。
Kさんは何十年も続く市の菊花展の会長さん。30年以上イベント運営の中核人物としてイベントを盛り上げてきた方。Kさんが首を縦に振らない限りイベントの事業は前に進みません。ある日突然鶴の一声のように、決まったことが変わることも度々ありました。
理想を追求する性格。過去を重んじた、奇をてらうではなく確実な積み重ねを基本姿勢とする。芸術的なこだわりを強くもち、長年の人付き合いも欠かさない。そんな人。
会長として、イベント全体の成功を第一に考える視点をもち、すべてに口を出す傍らすべてに責任をもつ姿勢。こんな性格。

一言で表すならば、老齢の頑固な芸術家ともいえる、一癖も二癖もある会長さん。
そんなKさんとは、僕が菊花イベントの事務局をサポートする立場で関わりがありました。ちょうど全国規模のイベントを主催する年を担当したこともあって、準備期間を含めて1〜2年近く密に関わりました。

一つの用件を伺うと、話は次々派生し色々な話を語り聞かせてくれました。
他県への視察や、国への随行の際や、飲み会の場様々な場で話をしました。
もっぱら話題は地域振興の話、祭りやイベントに対して行政も地域の人も一緒に熱狂した時の昔話、現政の地域振興に対する不満などなど、地域振興への理想の想いを語り聞かせてくれました。

「今の市政の地域振興のやり方は、真綿で首を締められている感覚だ。」
この言葉は印象深く覚えています。
いきなり核心に迫らず、じわじわと遠回しに責めたり苦しめたりするたとえを表す言葉ですが、僕はまさにそうだと共感しました。
地方の行政としては、人口減少、税収の減少、職員数の削減、経費の削減の色が濃く、どうしても従来通りイベントや祭りに関わっていくことが難しいので手放していく方針がありました。イベントに対する市の補助金も年々減らす一方で、イベントに要する費用は高騰(人件費や資材費の高騰)しているので、不足分はどこかで補いなさい。なんとかしなさいと。

準備段階の費用でかなり節減を実現して当日を迎えることができた!
となっても、イベントは水物。入場料収入は、天候次第で来場者の人数は大きく影響します。一般的に雨が続けば大赤字。晴天に恵まれれば見込み以上の収入になるかもしれないけれども。ただしココにも補助イベントの悩ましいところがあって、もし仮に大幅な収入があったとしても、プラスになった分は補助金額支給額からカットされてしまう。余剰金を翌年以降に持ち越すことなんて許してくれない。公共施設の指定管理制度もそうなのかもしれないけれども、頑張ったらがんばった分だけ報われるようにしてあげれる仕組みになってほしい。やる気を搾取している。このやり方は本当に「衰退」の二文字しか生まないと思う。

イベントの運営に携わってみて、最高のイベントを作り上げようではなく、見栄えが悪くなく、いかに赤字で終わらせないかが頭にあり非常にナーバスでした。

過去の赤字になった年はどうしたのかというと、Kさんが補填したそうです。(過去2回?ほどあったそう)
一人相当な覚悟をもって、イベント運営に尽力された姿には頭が上がりません。


教訓

2つの学んだこと
・生涯を通じて情熱を注ぐということ
・人とのつながりがイベントを盛り上げるということ

自己の利益を度返しにして、何十年にわたり地域を盛り上げることに人生を捧げた。そのような情熱を注ぐことができるものと巡り会えたっていうのは、ウェルビーイングの観点から言えば非常に幸運なのかもしれない。
一方で覚悟も熱量も周りと大きくと異なっていたことが原因かはわからないけれども衝突があり、あまりにも細かい指摘や要求に仲間が離れていったのもまた事実。仲間が減り最終的にイベントの先細りにつながってしまったことから、人とのつながりが、想いの継承が非常に大切な部分であることも肌感覚として気づきを得ました。事業を成功させるために最も必要な要素は「人脈」なのでしょうね。

まとめ

親や祖父母だと気恥ずかしさが勝り、人生観について語り合うことはないかもしれないけれども、地域に根付いて生きてきた先輩方と語り合うことは非常に有意義な時間の使い方なのかもしれません。

時が来た時にはもう遅いので。



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