引き受ける

おはようございます。kohです。

朝の日の出も少しずつ勿体ぶって
出てくる季節です。
それでも朝は貴重な時間に変わりはありません。

今回は「引き受ける」
特に対人関係の「引き受ける」ことについて
考えてみます。

私は「引き受け」下手です。
何故なら、自分のキャパシティーを超える
いろんな「お願い」をつい引き受けてしまいます。
それでフリーズしてしまい
最悪、身動きが取れなくなります。

よく雑誌などでコラムに
「断り上手」の掲載があります。
私は、全然「断り上手」にはなれません。

このように書くと
kohさんは「いい人」と感じてくれる方もいます。
しかし、実情は
大変になるとそこから逃げてしまいます。
(ごめんなさい)
最低限でなんとか誤魔化します。(ごめんなさい)
最低な人間かもしれません。

「断り上手」下手だという人は
実は私がそうなのですが
「気分や」その時によって気分にムラがある人かもしれません。
その時の本人は「悪気」はないのですが
私のように自分のキャパを超えると
一杯一杯になってしまいがちです。

「引受ける」ことについて大事なのは
どんなことでしょう?
それは他のnoterさんの記事に述べてあった
「有言実行」だと思うのですが・・・。
これがまた「耳に痛い」言葉で
なかなか「有言実行」を叶えるのは
難しいのが悲しいかな人間の性のような気がします。

ある人がいいっていました。
「引受ける」とは
・出来るなら引受ける。
・できないなら断る。
・少しできそうなら一緒にやってみる。
う〜ん。理論的に完璧とまでは言えるかわかりませんが
そこまで割り切られると良いのかもしれません。

つまりは「引受ける」=「割り切る」チカラ
なのかもしれませんね。

例えば、大きな仕事や頼み事を
「引き受けざるを得ない」場合はどうでしょう?
ここで100ドル紙幣で有名な
ベンジャミン・フランクリンの言葉から、
「頼み事の全てを見ないこと。
庭の草刈りのようにただ目に前の草を
必死に刈っていればいずれ庭の草刈りは終わる」と解釈します。
わかりますか?
ご依頼の全てを俯瞰する必要はありません。
とにかく目の前の事柄に集中することが
重要とフランクリンはいうのです。

「引受ける」ことで
いっぱいになったら
今、肩に乗っている案件を全て
洗いざらいノートに書いてみます。
さらに、それを細分化して
今、できることに力を注ぎ込んでみては
いかがでしょうか?

今回は「引受ける」ことについて
考察しました。
引受ける前に「自分を知る」ことは難しい。
逆に、引き受けすぎてみて自分を知る方が
普通のような気がします。

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

また次のnoteで

おわり

nyakopanさん素敵なイラストありがとうございます。

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