何故、飽きるのか?
例えば、「おひとり様」に目をつけて
雑誌などで
「おひとり様って何やっているだろう?」
と調べたとします。
初めは
一人ラーメンや一人カラオケなど
一人でドキドキしながら
「おひとり様」の情報に基づいて
行動してみます。
さすが、雑誌です。
乗っている情報は
ほんとうに楽しいものばかり。
リストの大半をコンプリートしたとします。
さて、それからどうしましょう?
ほとんどの人は
そこで繰り返すことになるか
もっと刺激のある「情報」に向かって
邁進(まいしん)することになります。
しかし、なんだか初回より違和感を感じます。
それは、一度味わった経験だからです。
そして、「おひとり様」の情報に飽きてしまうのです。
「おひとり様」を目指して
雑誌まで読んで何が不味かったのでしょうか?
それは、行動が「インプット行動」だったからです。
とにかく
雑誌のいう通りに行動していれば
楽しかったです。
そこで満足してしまうから。
後には食べに行ったという
「経験のインプット」しか無くなるのです。
では、「おひとり様」行動自体が
いけなかったというわけではありません。
インプットの逆、アウトプットも一緒に
行えばよかったのだと思います。
食べに行った、「美味しさ」
遊びに行った「楽しさ」
一人で行動した「ドキドキ感」など。
誰かと共有できれば
面白さが継続できたと思います。
それには
「note」など書いていることは
強みになります。
「note」は自由です。
好きなように表現できます。
社会全体が飽和状態の時に
何かをテキスト通りに始めても
結局インプットに終わると
つまらなくなってしまいます。
人は社会的な動物です。
いくら情報に囲まれていても
自分からも何か表現しなければ
虚無感やつまらなさに
押しやられてしまうでしょう。
私もnoteをやっていて
一番救われたのが
自分を表現することにより
自分を見失わなくなれたことです。
少々大袈裟ですが
人間は息を吸うように
何かをインプットして
何かをアウトプットしなければ
何かを続けて楽しむことさえ
難しいくなってしまいます。
何もnoteの「毎日更新」にこだわる必要もなく
とにかく誰かと「楽しいこと」を
シェアすること。
そうすることによって
次は何をしようか?
自分の頭で考えることが出来ます。
俄然(がぜん)楽しみも続きます。
人と人の交流が
気薄になって来ました。
刹那的な楽しみでは
孤独になってしまうかもしれません。
それは、私も同じことです。
これからも
どうにか、こうにか
noteを続けていきたいです。
今回は「アウトプット」と「飽きてしまう理由」を
関連して述べてみました。
深夜に失礼いたしました・・・。
おわり
naotanuさん素敵なフォト
ありがとうございます。