めでたくもあり
トンチで有名な和尚さん
「一休禅師」(一休宗純)は
こんな歌を残しています。
門松は 冥土の道の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし
(一休宗純)
門松は正月の縁起物です。
正月が来ると
昔の人は「数え年」が必ず一つ増えます。
歳をとるのです。
その分、言い方が悪いですが
自らの終わりにも一つ近づく。
だから、表面はめでたくても
裏側はめでたくない、ということです。
破天荒な僧侶だった一休さん。
なるほど、と思ってしまいます。
先ほど、友達の義理のお父さん(妻の父)が
なくなったという知らせが入りました。
もちろん、私と同じ年代。
我が両親のことを鑑みてしまいました。
最初に述べた通り
人は一年たつとその分終わりに近づきます。
これは、一凡人でも、IT会社のCEOでも
どこぞの大統領でも平等に
避けることはできません。
しかし、私たちは普段このことを
忘れがちです。
今日はなんだか
そのことをしみじみ考えたくなって
(年やな😅)
note(パソコン)を立ち上げてみました。
めでたいクリスマスや大晦日、正月に限って
なんて縁起の悪いことを・・・と言われる気がします。
しかし、本来の
区切りの日(年末年始)は
そのようなことを静かに振り返るのが
正当な過ごし方でした。
時代は変わり令和になって
賑やかに楽しく過ごす日になっていきました。
「まずは終わりのことを考えよ」
と言ったのは
ヨーロッパのルネサンス期に活躍した
万能人と呼ばれたレオナルド・ダ・ビンチです。
この世に始まり(誕生)あれば
終わりもあります。
当たり前すぎて私は気に求めませんでした。
しかし、友人はどんな気持ちで
知らせのメールを送ってくれたのか?
同年代だし、気になります。
もっとカッコ良く言えば
「人生は片道切符」
「人生一度きり」なのです。
以前にヒットした
JSB3の楽曲「R.Y.U.S.E.I」にも同じ歌詞があります。
若い頃は失くすものがないので
こんなイケイケの雰囲気に考えもします。
中国の明時代の古典「菜根譚」にも
「夜静かになって一人座っていると
静かな気持ちになれる」とあります。
その「静かな気持ち」で何を考えるかと言えば
今までのこと、これからのこと
そして「終わりのこと」です。
こんなことを考えていたら
本当にめでたくありませんね。
一休禅師のようになってしまいました。
ただそれで何が言いたいか?ということではなく、そういう事実もあるのだよ。と
自分に静かに言い聞かせたいのです。
〜終わりよければ、全てよし〜
byシェークスピア
しかし、来年は本当に
期待に満ちた一年になることを願って・・・
おわり
intothegarbageさん
素敵なフォトありがとうございます。