ワーママの、買う買うと長年思い続けて結局買わなかったものに勝った「買ったもの」
管理職になったらご褒美にロレックスの腕時計がほしい。
なぜかそう思っていた。
飲み会で飲み過ぎて腕時計を汚物まみれにしてしまったり、修理してもしても時間が狂う時計に悩まされたり、時計を買い換えるチャンスはあったけれど、管理職にならぬまま時は流れた。
いつしか結婚し子どもができて夫がApple Watchをプレゼントしてくれた。
私があまりにも電話を取らないからとのこと。
そしたらApple Watchがあまりにも優秀でこれ以外に時計は要らないな、と思うに至った。
子どもの手を繋いだまま駅の改札を通れるしバスの料金も払える。今は街の中での買い物も全部Apple Watchが捌いてくれる。子どもを連れているとかばんから財布を出す時間もなければ気力もない。第一、腕が足りない。
私の手首はApple Watchに捧げることにした。
ロレックスのことを忘れた頃に管理職になってもロレックスの時計がほしいとは全く思わなかった。
寒さも和らぎ花粉が舞う気配が漂う。
ウールのコートはもう出番がないかもしれない。
そして「コート問題」が爆誕した。
社会人になったその春、上京して初めて住んだ会社の借り上げマンションの部屋で私はトレンチコートを壁にかけて眺めていた。
まだ初任給も出ていないのに学生時代のバイト代から5万円ほど出して買った渾身の一着だった。あまりに気に入って、毎シーズンクリーニングに出した。
驚くべきことにそのトレンチコートを私は19年も着続けることになった。
他に心惹かれるトレンチコートに出会わぬままにまた一年、また一年、とあやうく20周年を迎えかねなかったが、さすがに襟元に擦れだ感じがするし袖の裏側にある花柄も卒業だなと思っていた。
その時私は42歳、2児の母だった。
19年もがんばってくれたトレンチコートに敬意を表しさよならした。もう解放してあげたかった。私が写る写真に最も多く登場した衣服のはずだから思い出は忘れたくても忘れられないほど溢れている。
そしてコート問題へ発展する。
春の到来とともに着るコートがないのだ。
いつも「トレンチコートがある」と安心して春を迎えたのに手放してしまったからだ。かと言って、トレンチコートの後任をどうしても決められないでいた。
初任給時代にも5万出して買ったコート。
今でも5万円で買えるコートは世の中にはある。
しかし歳も重ねて収入も増えているのに同じくらいのコートで代替えしていいのか?
しかし、収入の増加に比例した値段のコートを買うとなると高級品になる。私にそんな高級コートが必要だろうか?
毎シーズンクリーニングしてお手入れが必要な服をオフィスにも保育園や学童にも来ていくのか?鼻水や食べ物を子どもにつけられたときに落ち着いていられるだろうか?不意に雨が降ったら子どもに傘を捧げて自分の半身はびしょ濡れ、それでも大丈夫か?ファッションをバッチリ決めたいような機会など年に一回もないのでは?
あれこれ考えると「トレンチコート」の後任選定は難航した。
そして思った。
私に今必要なのはトレンチコートではないんだなと。
そもそも先代のトレンチコート解放の背景には子育てやコロナによる在宅勤務の増加で出番が少なかったこともあるではないか。
私が買うことにしたのは、撥水加工された花粉のつきにくいマウンテンパーカーだった。白くて、スカートにも合うし通勤にもいい。
もちろん、子どもの保育園や学童の送迎にも。
雨にも風にも花粉にも鼻水にも負けない。
これがいい。
きっと私に似合うはず。
長年欲しいと思ったものもいざその時の自分に照らすと不適切なことがある。
その時その時、自分にフィットするものに出会いたい。
こうしてみると、大袈裟だけど、買い物の履歴は人生そのものだなあ、と思う。
今後どんなものを買うことになるのか、楽しみでもある。
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