選択的夫婦別姓の話をお盆シーズンにぶっ込んだテレビドラマ「虎に翼」
結婚するときは、多くの女性が夫の氏を名乗る前提で入籍する。
それが当たり前、でいいのか?なぜ?
NHK連続ドラマ小説「虎に翼」そんな疑問を問いかけそう。今日の放送をまだ見てないけど前回の終わり方からするとどうもそんな感じだ。
「虎に翼」では大戦前の民法では、女性が男性の姓を名乗ることとなっていたが、戦後にどちらの姓でもよくなった流れが描かれていた。
いずれにしても、男女どちらかが、オリジナルの姓を捨てることになる。
それはいやだ!と思えば、夫婦ともオリジナルの姓を保てるのが選択的夫婦別姓ということだがこの議論長い間遅々として進まないと聞いている。
時代に関係なく、昔から、苗字のことが引っかかって事実婚にしたり結婚と離婚を繰り返した人が少なからずいた。
難しいことは分からないけど「姓」を要として人々を束ねる家族というシステムを守り抜く理由が日本人にはあるとテレビで偉い先生が話していた。だいぶ昔のことだ。
同じお墓に入る人どうしの結びつきは特別なものだと雰囲気だけわかるのは、祖父母の代まではリアルに家族の結びつきが強かったのを知っているからだ。
お盆のお作法は漏れなくやるし、仏壇にお供えを欠かさないし、お墓は住まいの近くにあり日常的にお参りする。
夏休みには、お盆で孫たちも集まって宴会。
近所であがる花火をみんなで見たものだ。
その花火の近くでは灯籠流しが行われる。
祖父が亡くなって初めの夏は、花火の招待席券が送られてきたというから、どこのうちの誰か亡くなったという事案はその地域の大切な事項なのだ。追悼のための花火だから。
私は多くの親戚のおじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃんに見守られながら大きくなったが、私の子どもたちが知る親戚は祖父母とプラス数名がやっと。
親戚の大人数の集まりもなければ、お墓参りも仏壇もしらない。
これでいいのかな、と思う。
けど、どうにもしようもない。
今は天国にいるおばあちゃんおじいちゃん、その兄弟姉妹みんなの顔が思い浮かぶ。
もしあの中の誰かの苗字が違っていたらあんなに強い絆はなかったのだろうか。
そうは思えない。
みんな顔や爪や歯並びが似ていて、思い出も共有していて、みんなで苦楽を共にして釜の飯も食ってきたのに、呼び名が違うから仲間じゃないってそんなこと言う人が出てくる気がしないのだった。
なんなら、母方の親戚の集まりでは私は異なる姓なわけだけど、みんな私も弟も可愛がってくれた。それが普通だと思っていた。逆に、母は父の姓になったからといって父のように大切にされるわけではなかった(母談)。
大切なのは別に姓じゃないんじゃないか。
逆に、本来解き放たれるべきものを姓で縛り付けたい人がいるだけなのでは。
家族の結びつき方について考えた夏の盛り。
お盆のあとにこの話題を持ってくるところ、虎に翼って攻めてるなぁ、と思う。
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