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子育て日記。街中で声をかけてくれるおばあちゃんたちを通して思うこと。おせっかい?必然?
まだうちの子たちが小さな赤ちゃんだった頃。
街を歩いていると「かわいいね」「女の子?」なんて、よくおばあちゃんに声をかけてもらいました。
その度に、気にかけてくれてありがたいな、赤ちゃんってありがたい存在だな、なんて思っていました。
「今がいちばんいいときね」
という、巷でよく聞くフレーズを聞いたことも一度や二度ではありません。
最近、育児に家事に仕事に私がいっぱいいっぱいのとき、モヤッとすることがあったのです。
雨が降りそうになると「ベビーカーのカバーをかけてあげて」とか「傘さしてあげて」とか、突然横から注意してくるようなおばあちゃんたちが目につくようになったんです。
バス降りたばかりだからこれからやるのに。
カバーは嫌がってとりたがるから帽子かぶせてるのに。
なんだか、余計なお世話だな!
と感じる、私の心がささくれているのがわかります。
返事もせずにその場を逃げるように立ち去る自分にがっかりしたこともあります。
こんなとき、経験上、立ち止まって冷静になった方がよいことが多いのです。
自分のささくれだった気持ちを潤して、ニュートラルに戻るために。
例えば、しっかり睡眠をとり、ほかほかのごはんにパリパリの海苔をまいたおにぎりでいいから食事を味わい、幼い頃の子どもの写真を見返したり。こうして、自分の中にほこりをかぶっている幸せのかけらを呼び起こします。
そして、こうした自分を試すような環境にどんなコンテクストがあるかを考えるのもおもしろいです。
私には母方にいとこが実に5人いますが、2人の子供がいる私が最多子宝で、ひとり子どもがいる人がひとり。弟も子どもがいないので7人の大人(配偶者入れて11人)から3人しか子どもが産まれていないことになります。
身近な場所でひしひしと少子化を実感します。
いとこのなかで3人子どもがいてうち2人は我が子な訳ですが、実家のある土地から遠くに住み、じいじばあばは日常的に孫に会えません。
そういう、孫がいない、孫に会えないおじいちゃん、おばあちゃんもまた増えているのではないだろうか?
そしたら、赤ちゃんに会いたいとか、赤ちゃんと触れ合いたいとか、親に口出したい?とか思うかもしれないなぁと思います。
(私が街で出会したおばあちゃんたちは、単純に我が子が雨に濡れるとか、寒いんじゃないかとかを心配してくれただけだけど、たぶん)
そういえば、今年3年ぶりくらいに足裏マッサージに行ったときセラピストさんが「最近ママさんたちから、知らないおばあちゃんたちが赤ちゃんに勝手に触ってくるから怖い、近寄りたくないとよく聞く」と言っててびっくりしたのを思い出す。おばあちゃんたちは赤ちゃんに飢えちゃっているのかも?
私の母も、近所の赤ちゃんを連れた母親たちに余計なおしゃべりをしているかもしれない。
だいたい、母親の時代は20代で子どもを産んでいたので早ければ40代からおばあちゃん。でも、私も含め今は30代でお母さんになる人が多く40代で出産する人も多いので、おばあちゃんになるのは70代以降、ということも考えられます。
そしたら赤ちゃんロスな時代が長く続いてしまいます。
私はふと思います。
私、赤ちゃんロスになったらどうしよう?!
街中で赤ちゃんを探し、母親に話しかけて変なことを口走ったら…。
保育士の資格でもとって、保育園でパートやボランティアをするなど、何か、対策をしたほうがよいかもしれません。児童福祉施設でのボランティアとか、外国人の子どもに日本語で勉強を教えるボランティアとか、なんでもいいから幼い子に触れて接点を持つのです。
それか、子どもたちには結婚する能力と動機をなんとか備わせて孫が出来るように促すとか?
でも私は経験上、孫はいても可愛がるだけにして、子育てに口は出したくないので、子どもに触れるボランティアを考えてみたいと思います。
街中でおばあちゃんたちから話しかけられたできごとをきっかけに、赤ちゃんロスについて考えた火曜日の昼どきでした。