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サラリーマンは1日8時間働く必要がある?「働く」とは?

最近、周囲に見聞きすることに憤りを覚えてこの記事を書いている。

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昔、ライフワークバランス社のコンサルが会社に入ったことがあった。そこで小室淑恵さんのプレゼンを見た。

人口が増えて若い人がたくさんいる人口ボーナス期には、仕事がたくさんあって労働力はあるほどよい。一方で、赤ちゃんが産まれず高齢者の割合が増える一方の人口オーナス期には、労働者が貴重で付加価値の高い仕事を短時間で出来るようにしないと社会が回らないと言っていた覚えがある。

人口オーナス期のことは最近でもよく聞く。

10年ほど経った今、社会はだいぶ変わった。

プレゼンで聞いていたように、みんなが一生懸命働けば経済が潤うなんて時代は終わったのは明白だし、長過ぎる残業時間やパワハラは明るみになれば社会的に制裁として成立するようになった気がする。

気づいた頃には赤ちゃんは産まれないわ、子どもはいなくなるわ、日本はGDPでドイツに抜かれて4位だの、円安、物価高…

まさに、小室社長のプレゼンの通りに、いやそれ以上にマズそうな状況になっている。

そして人口オーナス期に必要とされていた短時間で付加価値を高くつける考え方を実践している会社とそうでない会社は分かれているのだと思わされる。

10年外資系企業にいて、時間あたりの生産性を厳しく見られている(意味もなく残業している人は問題があると思われる、成果が上がっていれば日々の労働時間管理は本人に委ねられているなど)のはずっと当たり前だった。

けれど、辺りを見渡せば「時間通りに働くこと」が重んじられる企業文化はまだまだ、いや、平然と依然とそこにあるとわかる。

例えば、求人を見ると勤務時間は9:00-18:00がデフォルトでたまに9:00-17:30があったり、8:45-17:00が稀に紛れ込んでいたり。

子どもがいる家庭は18:00まで勤務したら保育園のお迎えは早くても18:30だし、小学生なら学童もカバーできない時間がありそうだ。

よって、子どもと向き合う時間も確保したい考える共働き世帯だったら、多くの場合は女性が時短勤務に切り替える、故に、その女性は昇進が男性より遅れる。という一連の流れが自然発生的に生じていく。

すると、男性は時短を取ってくれる女性に育児家事の面でも甘えがちになり、女性に偏りがちになり(時短でも仕事が終わらずサービス残業、時短からフルタイムに戻しても結局夫はなにもしてくれない、等)、家庭の中の雰囲気はあからさまでなくても、少しばかりこわばったものになっていく…

そんな、闇のような展開が、全国各所で至る所で繰り広げられていくことになる。

そんな中、子どもが2人も3人も生まれるはずもなく。

ところで、事務所仕事の従業員に対して、リモートワークもなく週5で8時間、オフィスに社員をくくりつけておきたいという企業がある現象はなぜ起きるのだろうか?

リモートワークを認めないのに事情があるとしても、なぜ、日本の企業はいつまでも8時間勤務がデフォルトで短時間勤務社員を「準社員」みたいに扱うのだろうか。

男女年齢問わずみんな7時間とか6時間勤務にして、その中で成果をたくさん出せる人により多くサラリーを払ったらどうだろう?

そしたら、定年を過ぎても働きたいシニアの方もあと1年長く働いてくれるかもしれないし、優秀な人が「ライフワークバランス」を理由に辞めていくこともないかもしれないし、子もち様をめぐる対立で波風が立つこともないかもしれないのに…。

ここまで考えて思うのは、労働の対価を、社員が差し出してくれた時間に対して払う企業がまだ多いのかな?ということ。

「働く」イコール、成果を出す。
出した成果に対してサラリーが決まっていないので、固定した時間に対してサラリーを決めているのが実情かな、と。 

あともう一つは、同じ成果をより少ないリソースで出す努力に対する評価がないのかな、というのも思う。そういう評価軸がなければこれは仕方ない(社員の差し出した時間に対してサラリーを払ってるだけでは、できないこと)。

働き手を、「時間と場所への拘束」の鎖から外して、「産み出した価値」を求める場所へ解き放たないと、ほんとに働き手がいなくなっちゃうのでは?と思う。

わかっている人はとっくに動いている。

まずは、8時間勤務をせめて7時間勤務に。
どうだろうか?

もしその時間を持て余すなら、健康寿命を長くするために運動したらいい。勉強するのもいい。

遠くない将来、きっと、多くの人が家事をしたり、子どもと過ごしたり、親や親戚のケアをすることになる…と思う。

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