元気をもらったあの食事。共働き子育て夫婦の食卓に、幻のそぼろ丼と豚汁。
とある料理のリストがある。
大根おろしにしらすをのっけて醤油をかけたもの。ほうれん草のおひたし。目玉焼き。湯豆腐。
どれも手が混んでいない基本的なものばかり。赤いモレスキンの手帳にラミーの万年筆でポツポツと書き足されていった。
そう、このリストは、夫に教える料理のリストだった。
極度にひとりで料理をする結婚生活を恐れた私は、夫との結婚で望むこととして唯一、料理をしてもらいたいと主張し結婚前に仕込んでいた。
結婚する前に、一人暮らしの私のうちのキッチンで一つずつ作って覚えてもらっていた。
キッチンと言っても1Kの私の一人暮らしのキッチンは、廊下にあってコンロは一つ、電子レンジは冷蔵庫の上に乗っていた。場所がなくて仕掛り中のバットやボウルは洗濯機の上に並べられていた。
二人暮らしの新婚生活では、キッチンに夫と並んで料理をした。一緒に買い出しをして、1週間分のメニューをホワイトボードに書いてその通りに毎日一緒に作った。
そして、結婚して2年が経ち長男がお腹にやって来た。
私の中で「一人で台所に立つ恐怖症」がもくもくと立ち現れ膨れ上がった。乳飲み子を抱えた母親はなぜか孤独なイメージがあったからだと思う。
居ても立っても居られなくなり夫に懇願した。「ごはんを私が一人で作るのはいやだ。ひとりにしないでほしい。」
優しい夫は、不器用ながら、なんとかしようとしてくれたらしい。なんと、お料理教室に行くという。
「今日のごはんはぼくが作る」
料理教室のあと、夫はそう言うと何やら買い出しに出かけてごはんを作ってくれた。メニューは、料理教室で習った、そぼろ丼と豚汁だった。
その後、豚汁は何度か食卓に登場した。
ごはんを炊いてくれて豚汁を作ってくれる。
更に、デパートでおかずを買ってくれる日まであった。
それだけで、慣れないワーママ生活に悪戦苦闘する私は身が浮くかと思うほど元気が出た。
子どもを預けて働いて子どもを迎えに行ってご飯を作って寝かす。たったこれだけ、誰でもやっていることがどうにも難しい。
そんな日々を、ごくたまにだが、夫の豚汁が救ってくれた。白状すると、また豚汁か…と思う時もあった。でもやはり、身体もボロボロ、頭もパンクした夕方に、コンロにぽつねんと佇むル・クルーゼの鍋から夫が作った豚汁の湯気が立ち上がるのを見ると私はがんばれた。
夫婦は等しく家庭に責任があるから、夫が料理をするのも当たり前とは言っちゃあそうだが、出発地点を考えたら別人のように思えた。
ル・クルーゼの鍋は義母からの新婚祝いで、義母から夫及び豚汁までプレゼントされた気分になる。
ありがとう。
豚汁、またお願いしますよ、いつか。
ちなみに、そぼろ丼は料理教室のあと一回だけ披露して姿を消した。たぶん、夫はそぼろ丼はそこまで好きではないのだ。
そして、私が結婚前に仕込んだ、あのシンプルな「私が夫に教える料理リスト」の品は、一度も食卓に登場していない。
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