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noteが好き!でも「人気記事」が1年前に書いたもので良いのかな?と葛藤してしまう

2024年の目標に、「サイトマップを作る」を掲げて年末に駆け込みで作った。

その時に自分のプロフィール画面に行っては「人気」タブでスキの多くついている順から記事を拾ってきたのである。ひとつひとつURLをコピーして貼り付けてサイトマップを作った次第。

「人気」を押すとスキの多い順に並ぶ

さて、その作業で気づいてしまう。

人気のトップに来る記事は2023年に作成したもの。その下にも数ヶ月前や1年前、あるいはそれ以上前の記事がずらずら並んでいる。

最近書いた記事よりも、以前に書いた記事の方が多くの方に閲覧されているためスキも多くつくのが当たり前だ。それに、(自分の中で)人気の記事は、書いたときにかなり労力や気持ちを注いだ記憶もあるため長く読まれていることは喜ばしいことでもある。

その一方で、人気の記事がつい最近書いたものから出ていないことはある疑問も抱かせる。

それは…

最近の私はオワコンなのではないか?

以前ほど面白いものが書けていないのではないか?

素人の日記なのでそこまで悩む必要はないし、だいたい私は「終わっていない」コンテンツだったときがあるのか?思い上がりでは?と思いつつも、欲深くも、人気記事が新陳代謝するといいなと思ってもしまう。

もしかして、今はそこまで人に知らせたいニュースがなくて次の成長に向けて何かを育んでいる時期なのかもしれない。それは私の人生の舵取りがうまく行っているしるしかも?

など良いのか悪いのかと、思い巡らせていた。

年末にモニタリングというテレビ番組で米米CLUBの石井竜也さんが変装してテレビ番組に出て、最後に突然圧倒的な歌唱力でもって名曲を歌い出すドッキリを披露していた。

終わった後、石井さんはこのように語っていた。(要約)

代表曲をいつもいつも歌ってそれなりに盛り上がってそれでいいのか?と思った時期もあったけど、名曲は自分のものではなく、皆さんの心の中にある。だからこそ、今は歌い続ける意味があるんだと思っている。

米米CLUBと私は似ても似つかない、というかとても並び立てる関係ではないのだが、なんだかその言葉はいいな、と思った。

音楽も、言葉も、受け取った人の中にその命が宿るところがいいところだ。

かつて人に受け入れられたものがその人の心に残ったり、時を経てまた別の誰かに受け入れられる。それだけで価値があることではないか!と。

(私のnoteはそんな盛大なものじゃないけど、気分的に)

源氏物語も1000年経ても人々の共感を生んでるしね、ってまた桁違いな例えをしたりして。

その上で、また私の人生のフェーズみたいなものが変わって「そう、そのごちゃっとしたところを言葉にしてくれる人がいてよかった」と私の記事を眺めてくださる方がいればさらにうれしい。

自分の心の整理や気持ちのお掃除のために書いているなんて言いながら、人様に読んでいただけることがこんなに励みになると改めて知った。

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