見出し画像

今の小学生を見て自分の子ども時代との違いにびっくり!

こんな記事を書くことになったのは、晩婚晩産で我が子と自分の歳の差を稼いでしまった自分が原因だけど…

もうとにかく、今の子どもってすごい!

そんなことばかり考えてる。

毎日忙しい子ども

小学生になり一年経って、週5のうち完全フリーな日が1日しかない。

その一日でなんとか塾の宿題や習い事の練習やら。風邪をひけばお医者さんにも行く。

私の子ども時代は(昔➕ど田舎)、毎日暇つぶし状態。

祖父と相撲を見たり、外に出てワラワラ集まる近所の子どもたちと遊んだり、1人庭で探検したり。

現代では、というか、都会だからか?そもそも、1人で外にいる子どもなんて近所にいない。

そんなんでうちの子は平日友達と遊ぶということはない。学童つながりの子や保育園時代の子では似たような子が多い。

デジタル最前線

1年生から1人一台タブレットが配られMicrosoftのアプリを使う。

国語の発表をパワポにまとめたり、宿題がteamsで配信されたり。タイピングまでやっている。

キッズケータイすら、子どもの方が使い方わかってる…

情けないけど、そのうち抜かれる分野だと思う。

コロナの影響

2年前私立小学校の説明会に行っていた時、どこも給食は黙食だった。

その頃、YouTubeの子育て系チャンネルでも休み時間の私語禁止、という話もよく聞いた。本を読んだり、絵を描いたり折り紙を折ったりするらしい。

中学生高校生くらいなら人と喋るとかつるむのがストレスな子もいるかもしれないから、私なら逆にラクに感じてしまうかもしれない。けど、小学生は元気が一番…キャーキャー声がしない休み時間はなんだか物足りない気がする。

コロナ明けて「しゃべっていいですよ」と言われて子どもたちも困らないだろうか?マスクを外していいよ、も同様に。

うちはマスク着用必須の状態から入学し、免疫ヨワヨワ世代。1年目はパーン!と高い熱の出る風邪に苦しんだ。

コロナ禍で外遊びが減ったりマスクをしている影響で体力も落ちていそう。

SDGs

日本はかなり遅れているだろうことは想像がつくけど、それでも過去に比べて今一番SDGsへの意識が高まっているのでは?と思う。

SDGsの中で環境問題や男女平等、貧困など、従来からの話題もある中で、多様性はここ最近特に聞くようになった話題だ。

NHKを漫然と見てたら、多様な性の特集をしてて、女性が恋愛対象の女性が出ていた。ちなみに息子は、同姓同士の結婚が日本ではできないけど外国でできる場所があるのを知っている。

この辺りの感覚も、その辺の大人より子どもたちの方が視野が広く明るくなる可能性がある。

昔から外国のドラマには車椅子の人が出てくるのを見かける気がするけど(gleeもそうだったし、「ハードボール ~マイキーは転校生~」というドラマがいま放映されている。)日本のドラマはキャストがハンディのある人であるケースは少ないと感じている(車椅子の主人公の場合以外)。

いろんな人がいて、助け合っている。
誰もが本来の自分でいられる社会を作る。
そんな当たり前を当たり前にしよう、というメッセージを感じる。

昔の感覚だと、弱者は助けないといけないとかマイノリティは声を持たないとか社会に自分を合わせるべき、というメッセージを受け取っていた気がする。

勉強が大変

ただでもタブレット端末を用いてインプットアウトプットしてるのに、学習する内容も増えている子どもたち。

英語は必修化され、その求められるレベルも年々上がっていると聞く。

大学入試の英語の量も質も年々上がり、それとともに本来習うより早くに同じレベルを習得しておく必要が叫ばれている。

英語学習は、十分な日本語力がついてからでないと、と言われていたがそれでは間に合わないし、今の小学生は中学受験などの影響もあり「国語力」だって早期に高レベルへ持っていっている。

あと、プログラミングもあるね、とは思うけどおそらく、プログラミングも含め国語算数理科社会垣根なく情報をまとめ答えを出す力が全体的に高レベル化していると感じている(中受界隈だけ?)。

子ども新聞に載っていた「とある中学の入試問題」に度肝を抜かれた。その内容は、AIが作ったこれらの文章のうち、誤りがあるものが含まれている。それはどれか、またその理由を答えなさい、というもの。

小学生のうちくらい親が勉強を教えてあげるのが理想かもしれないけど、私は少なくともこのレベルになってしまうと「教える」はムリだな、と感じている。一緒に考える、とかはありだけど、ともすると負けそう。

今も昔も子どもの「好き」は特別

子どもたちの環境は刻々と変わっているけど、時代が変わっても変わらないものもあるんだろうか?

正直、よくわからない。
ほんとにわからないのである。
命の大切さだって、親のありがたみだって、自然の素晴らしさだって、人を思う気持ちの温かさだって、語られ方は時代と共に少しずつ変わってきていると思う。

大切なものであること自体は変わらなくても、なんとなく、ものやことの持つ意味が変わるものである。

先日、下の子が電車が見たいというのでトレインビュー スポットへ家族で行った。上の子とも散々電車を見たけど新型車両が誕生していたり、微妙に電車も変わっている。

子どもたちで賑わうそのスポット。
車両が通ると歓声が上がる。

今の子どもたちは昔といろんな面でかなり違うかもしれないけど「好き」って気持ちの弾け具合や好きなものを見る目の輝きはやっぱり今も昔も同じだと思う。

子どもたちの中に一際声の大きいおじさんがいた。

「あと10分で◯番線に〇〇が通るよ」

レアな電車の通過時間と路線をふれ回っている。

10分後、その車両が現れた瞬間、大人も子どもも歓喜した。

そのおじさんは子鉄たちに捕まり大人気。
「ああ、その連結は1時間後じゃないと来ないねー」
「あれは、復刻版の色だよ」
「そのマークは運転席の横にあるからここからだと見えないね」

豊富な知識でひっぱりだこ。
しかし、何より、そのおじさん自身が楽しそう。

子どもの「好き」の力は未来を作る。

そのパワーを壊さない大人になりたいなぁ、と思う出来事だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?