すり減っていくワーママ論。私は2度とハリの戻らない伸びたゴム?
「シナぷしゅ」という赤ちゃん向けのキャラがいる。かわいいし、おもしろいし、癒される。
と、思っていた。
しかし、最近、このキャラが発する「ぷしゅ」という可愛い発言を聞くのが辛い。
まるで、タイヤの空気が抜ける音のように聞こえてくるからだ。
空気の抜けるタイヤとは?そう私。
空気の抜けたタイヤでは車は走れない。
2度の産休育休を経て、キャリアもなんとか繋がってきたし、まだまだこの先もがんばろう!と思う時もあれば「この先どうしよう」とお先真っ暗に感じることもある。
そんなことを何度繰り返せば良いのだろうか。
それに疲れてしまう自分に気づいたのである。
小2息子の夏休みを控えて、カレンダーと睨めっこしながら(うちは学童に預けっぱなし、ではなく、塾や英語教室の夏期講習やらさまざまな日程をパズルのように組み合わせる夏休みなのだ…)呆然としている。
心というのは、何度でも息を吹き返し、強くなり、生まれ変わると思っていた。
けれど、人間は心だけで生きていない。
身体も、精神も、頭脳も、全てが絡まりながら機能してやっと人間として生活を営み、働ける。
私は心は元気だと思う。世の中や家族、自分の未来…全てを良くしたいと思うし、感謝と恩返しを心に刻み、意欲的に取り組みたいと思っている。
しかし!
何度も訪れる子どもの用事や病気と仕事のコンフリクト、毎日毎日山積みのタスク、肝を冷やす瞬間、何かを諦め、期待を受け損なう感覚…
それらを繰り返すうちに、なんというか、「すり減っている?」気がする。
空気の抜けたタイヤのように、このまま元には戻れない感がある。
仕事がしたい!と、キャリアを開発して新しいゴールを設定し続けてきた先にあるのは「高い目標を掲げ続ける」循環だ。となると、良い結果を出さないといけないし、椅子取りゲームの相手は今の組織だと「妻のいる男性」がメインになる。
例えば、夏休みに子どもの昼ごはんを用意し習い事の日程調整をして、さらに宿題をやらせて、保育園の送迎もある私が。
例えば、子どもが病気だなんだとあちこち連れていくために中抜けしている私が。
例えば、小学校に個人面談に行き、そのための事前調査シートを書き込み、そんな各種先生たちのやり取りをしている私が。
仕事中心に生活を組み立てられる、そして、育休や産休のブランクなく仕事に邁進してきた男性に、常に男性ネットワークで親睦を深めてきた男性に…
勝てるのだろうか…。
今日もまた、ぷしゅ、という音がテレビから聞こえてくる。
かつて、女性も社会で活躍してもらおう!と社会の流れを変えた人たちがいた。
そのおかげで私は仕事の楽しさを知ることができた。そのことは、素晴らしく幸運だったと思う。
ただ、家庭労働の負担も女性の肩に乗っけたまま社会が走り始めたツケがどこかにあるだろう。
男性の働き方を変えずして、男女とも活躍して家族を持つ人たちがハッピーになれることはないと、頭のいい人たちは気づいていたのに…。
社会のことはまぁいいとして、じゃあ、私はどうするか。
タイヤの空気がなくなるまで戦うのか?
空気を入れることができるのか?
新しいタイヤに交換できるのか?
サラリーマン人生もせっかく20年近くきたので、後半戦の行き方をよくよく考えたい。
子どもたちが働くことを考える時期がときに、働く親の「良好な」サンプルが一つでもあった方がいい、私がそうでありたいと思う気持ちだけは変わらない。